「あ」
目的の場所は、思ったよりも早く見つかった。
それは、この町の中心部にある大きな円形の噴水。
中心が、細工の凝らされた柱状になっていて、そこから水が出ている。
町のシンボルともいえようその噴水の皆底に、まるで沈んでいるかのように、建物が映っていた。
その水面に映るのは燦々と輝く太陽ではなく、暗闇にぽっかりと浮かぶ月。
水面の向こう側は、夜だった。
噴水の、水の出る柱部分を軸に反対側に回り込めば、今回の怪奇現象の原因になってであろう、光り輝く物体が沈んでいた。
「……これだな」
神田の言葉に、は頷く。
はそっと水面に手を伸ばした。





最果てへの片道切符





彼女は恐ろしく優秀だと、神田は感じた。
今回、これほどまでに早く任務を遂行できたのは、彼女の力による部分が大きい。
ただし、彼女の能力はあくまで頭脳面に偏っている。
現に。
「疲れたー……」
自分の横で、水を片手に持ったまま机に伏せているを見て、神田は溜息をついた。
「おい、気を抜きすぎだ」
「ううー。こんな時まで気を張ってなんていられませんよー」
べたあっと机に張り付いたまま、が返す。
彼女は自分の横にあった皿に手を伸ばすと、フライドポテトをひとつつまんでもぐもぐと口に含んだ。
「でも、水面の向こう側では普通に生活が営まれていたようでよかったですね」
「まあな」
住民たちは、自分たちが今まで水面の向こう側にいたということには気付いていなかった。
水面の向こうでは普通に日が沈み、また昇って普通に生活していたのだという。
何がきっかけでそうなったのかは分からない。
ただ、ある日何かがきっかけでイノセンスが噴水に落ち、世界が逆転してしまったのだろう。
は皿の上に残っていた料理を全て口の中に放り込み、それを水で流し込むと、すっと立ち上がった。
「おい?」
「疲れたのでもう寝ますね」
思わず顔を上げて声を出した神田に、がきっぱりと言う。
神田は納得したように、軽く鼻で笑った。
「明日寝坊するなよ」
「神田さんこそ」
今夜はこの町に宿を取っている。
昨晩は野宿する羽目になったので、ちゃんとしたベッドで眠れることがは嬉しいのだろう。
「神田さん、あんまり夜更かししちゃだめですよ」
そう言い残すと、は食堂をあとにした。





充てられた部屋に入り、ドアを閉めると、はしっかりと鍵をかけた。
いそいそと団服を脱ぎベッドに投げ捨てると、は用意していた私服に腕を通す。
団服の代わりに、落ち着いた色のコートを着込んで、ほうっと息を吐いた。
それでも休んでいる暇はない。
はたった今、ここから逃げ出そうとしていた。
それは、教団そのものから逃げ出そうとしていることを意味する。
この時を逃せばチャンスはもう無いだろう。
一度イノセンス回収の任務に成功したとあれば、教団が次に自分に科してくる任務はきっとアクマの破壊だ。
それからでは、遅いのだ。
脱ぎ捨てた団服を拾い上げ、所持していたソーイングセットの中から小さなハサミを取り出す。
その刃をボタンを縫い付けている糸へと滑らせ、は全てのボタンを取り外しに掛かった。
フルネームが書いてあるこんな厄介なものは置いていこうとも考えたが、このボタンは純銀製だ。
この半年の間に教団からもらった給料で十分な資金は用意できているが、もしかしたら必要になる場面があるかもしれない。
使わなくてはいけないケースなんて、考えたくもないけれど。
これは見る人が見ればすぐにエクソシストの制服のボタンだと分かるものだ。
使えば足が着くのは避けられない。
使うときは教団に連れ戻されることも覚悟しなくてはいけないだろう。
……正直、持っているだけでもある程度危険はあると思っている。
それでも、これは命綱になりうる。
資金が底を尽いて飢え死ぬよりは、あるいは想定外の怪我や病気で治療を受けられずに死ぬよりは、教団に連れ戻される方がマシなのだ。
逃げるのは生きるため。
教団を利用した方が生存確率が上がるというのなら、は教団に留まることに抵抗はない。
(まあ、そんなことありえないと思うけど)
どう考えたって、自ら危険に飛び込んで行かなくてはいけない教団での生存率は低い。
は全てのボタンを外し終えると全てカバンに詰めた。
近くを飛んでいた通信用のゴーレムを鷲掴みにし、ボタンの無くなった団服のポケットに突っ込む。
そしてそれをグルグル巻きにしベッドに放り投げた。
これでしばらくはこの部屋にいると誤魔化せるはずだ。
部屋を軽く見渡して忘れ物がないことを確認すると、は部屋の窓枠に足をかけた。
部屋の位置は3階だったが、のイノセンスをもってすれば余裕で飛び降りることができる。
置き手紙など書いている暇はない。
一刻も早く、ここから脱出しなければならないのだ。
いまから出れば、ちょうど本日最終の汽車に間に合う。
追いかけるにしても、神田たちは明日の朝まで行動できないだろう。
ほんの一瞬だけ、の顔に自嘲の表情が浮かんだ。
理由すら曖昧なその感情を、はすぐに引っ込める。
鍵を閉めた部屋の扉を意味もなく見つめてから、は窓から飛び降りた。





15 ←   → 17






2008.3.12