一目惚れだったんだ、なんて言ったら、は笑うだろうか。もう、快斗は冗談ばっかり! なんて言って、けれど照れくさそうに、嬉しそうに。
 初めて会ったあの日、夜空を見上げていた彼女は月明かりに照らされていて、淡く光っているようにさえ見えた。月の女神がいるとしたらこんな姿かもしれない。満月が美しい夜の雰囲気と、自分が怪盗キッドという役者になり切っている高揚感から、柄にもなくそんなことを思ったのだ。もちろん、そんな印象は彼女と言葉を交わすうちに消え去ってしまったのだけど。
 彼女が小さくなってしまっていた理由をオレは詳しく知らない。どこぞの名探偵のようにヤバそうな事件に巻き込まれているわけではなさそうだから、深く追求するつもりはなかった。彼女の身に危険がないのならそれでいいのだ。最初にその小さな姿を見かけたとき、かわいらしいけれど少し変わっている子だなという印象を受けた。幼子に恋愛感情を抱く性癖はないが、彼女が自分の興味を引くような子どもであったことは間違いない。再び彼女の家のテラスに訪れたとき、見覚えのある子供が驚いたように自分を見上げているのを見てピースがぱちりとはまった音を聞いた気がした。ああ、そうだったのかと。この場でこの姿を見られたくなかったと姿も見せずに泣く彼女の涙をこの手で拭えないことが歯痒かった。出会った時から彼女に惹かれていたのだと、自分の気持ちをはっきりと自覚したのは思えばそのときだった。



エヴァレットの書




 朝学校に着くと、既に学校に来ていたと青子と白馬が3人で談笑していた。
「あっ、快斗! おはよう!」
 真っ先にオレの存在に気付いたが笑顔で駆け寄ってくる。その晴れやかな表情に、事が丸く収まったことを察したオレはほっと胸を撫で下ろした。
「はよ。……仲直りできたんだな」
「うん、快斗のおかげだね。ありがとう」
 の嬉しそうな表情に、こちらまで穏やかな気持ちになる。白馬の野郎はいけ好かないが、人間性を否定する意味ではない。立場上対立しあうというだけで、あれはあれでなかなか出来た男だ。まぁオレの方がイイ男だけど。なんたってはオレの方が好きなんだし? と幼馴染みなのは少々妬ましくもあるが、そこに文句をつけても仕方がないだろう。オレだって、青子と幼馴染みであることに文句を付けられても困る。
「黒羽くん、おはよう」
 昨日の憔悴しきった様子なんてどこへやら。今日も今日とて涼しげな表情で挨拶してきた白馬に、オレはやれやれと息を吐く。
「おはよーさん。お元気そーで何より」
「おかげさまで」
 オレの小さな皮肉に、白馬はニヤリと笑った。まったく、もう少し謙虚にお礼が言えれば可愛げがあるものを。いや、でも素直にオレに礼を言う白馬というのも気持ち悪いな。やはりこれくらいでちょうどいいか。
「黒羽くん」
 自分の席について今日必要な教科書なんかを机に入れていると、白馬だけがこちらにやってきた。と青子とは先程と同じ場所で何やら笑いながら会話をしている。オレは立っている白馬を見上げた。……なんか見下ろされているみたいでイヤな感じだな、この位置。
「今回は君の働きとちゃんに免じて身を引くけれど、覚えておくんだね。君が少しでもちゃんを悲しませたら、僕が彼女を奪いにいくと」
「ご忠告ドーモ。しっかし、オメーは怪盗じゃなくて探偵だろ?」
 オレはニヤリと笑って白馬を見た。それに動じた様子もなく、白馬は不敵に微笑む。
「奪う立場になってみれば、キッドの心理も少しは理解できるんじゃないかと思ってね」
 ほう、“盗む気持ち”と“を手に入れたときの気持ち”が分かるってか? 言うねえ。
「天下の探偵殿を盗人にはさせねーから安心しろよ」
 この男に彼女をくれてやるつもりなんて微塵もない。もう少し突っかかってくるかと思ったが、白馬は「それは頼もしい。期待してるよ」と笑っただけだった。



 いつかマジックショーを見せた公園のベンチで、オレとは並んで座っていた。あの日、が江古田高校に転校してきたことを知ったときには本当に驚いた。キッドの姿で、満月の夜にしか会えなかった女の子が、教室に差し込む陽の光に照らされながら笑っていたものだから。月の女神なんかじゃない、こいつは太陽の方がよっぽど似合ってるとはっとさせられたものだ。そのときは偶然に運命なんていうものも感じてみたりしたが、考えてみれば必然だったのかもしれない。今となってはどちらでもいいことだが。
「なぁ、
「ん?」
 このの、ん? と呼びかけに応えてくれるさり気ない仕草と声が好きだったりする。穏やかに、けれども確かにこちらに意識が向けられているからこそ出てくる声だ。
「なんていうかさ、その……」
 どう伝えたものかと言葉を選んでいると、この先に続く言葉を予想したのか、僅かにの口元が歪んだ。顔がゆるみそうになるのを何とか堪えているというような様子だった。さっと目元に赤みが差す。そうだよな、この流れでオレがなにを言おうとしてるのかなんて分からないはずがない。けれども律儀に、きちんと言葉を聞くまではリアクションはとるまい、と表情を取り繕っている彼女はなんだかかわいくて、愛しかった。くす、とオレは笑う。なんだか肩の力が抜けた。
、おまえが好きだ」
 その言葉はするりと口から出た。オレは黒羽快斗だ。飾った言葉なんて必要ない。好き、たったそれだけの言葉に、へにゃりとの表情が崩れる。この世に存在する幸せを全て詰め込んだかのような甘さで、彼女は笑った。そして照れくさそうにオレと視線を合わせる。
「うん……わたしも快斗が好きだよ」
 きゅん、という音が胸の奥で聞こえた気がした。え、なんだこれ。気が付くとオレはの肩をそっと掴んで、彼女の唇にちゅっと口付けていた。あれ……? 一瞬の出来事に、目の前の彼女もぱちぱちと目を瞬いている。暫くお互い不思議そうに見つめ合っていたが、同時にぷっと笑い出す。やがて今度はどちらからともなく小さな口付けを交わした。



「ねぇ、快斗」
「なんだ?」
 を家まで送り届けながら、彼女の声に耳を傾ける。もう彼女と一緒にいるための理由を作る必要はなかった。
「ここまで、長かったね」
「……そーだな」
 が学校から家までの道程の話をしているわけではないことは容易に理解できた。彼女は、オレたちが出会って今の関係に落ち着くまでの時間や精神的な長さを言っているのだ。
 想いあっているのは知っていた。けれど、好きという言葉を口にするのに、ここまでたどり着くのに、どれほどかかっただろう。長いとは言えない、けれどけして短いとはいえなかった。
 オレたちは互いに秘密を抱えている。はオレがキッドであることを知ってるのだろうし、オレは彼女が小さくなってしまっていたことを知っているから厳密には秘密ではないけれど、互いに語らないし尋ねて確認したりしないからそれらはやはり"秘密"のままなのだ。それはお互いに大切なものを守るための秘密。全てを伝えることだけが愛じゃない、全てを知ることだけが絆じゃない、オレたちはそう知っているから。オレはを“共犯者”に仕立て上げるつもりはない。それがオレの覚悟。
「でもさ」
「?」
 は言葉を切る。オレは首を傾げた。彼女はオレの方を見て微笑む。
「今までの時間よりも、これからの時間の方がずーっと長いよね」
「そうだな」
 オレは頷く。これは約束じゃない、確信をもって紡がれた言葉。今までの時間が短く感じるくらい、これからの時間をずっとずっと長く一緒に過ごせたら良い。



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2013.1.30