勝機を見出せぬのなら、手を出すべきではなかった。せめて、最後の最後まで策を練るべきだった。

 夕陽に染まる人の子の町を歩きながら、後悔と反省をひたすら繰り返す。
 足取りは重く、真っ直ぐ立つことさえ困難だった。背から脚にかけて受けた傷は深く、意識を集中しなくとも腑まで達していることが分かる。地面に滴り落ちる死神の血が虚を呼び寄せるだろうことは想像に難くなかったが、微弱にしか残っていない霊力では意識を繋ぐのがやっとで、薄皮一枚塞ぐ余裕さえなかった。
 なぜこのような結果に陥ったのかと問われれば、能力不足と答える他ない。真相に辿り着くまでの迅速さも、相手の懐に入る対話術も、敵の息の根を止めるための戦闘力も、……心から信頼しなんでも相談できた仲間も、何もかもが足りていなかった。
"彼ら"が尸魂界から追放されて百余年。鍛練を重ね、密かに卍解を習得し、少しは強くなったつもりでいたが、思い違いも良いところだ。目的を達せぬのならば、力など無いも同然。百年間、いったいなにをしていたのだろう。
 ふと、うなじをそっと撫でられたような気持ち悪さを覚えて、とっさに刀を振るった。僅かに首をひねり背後を仰ぎ見れば、背の丈の高い虚の面が割れ昇華していくところだった。そのひと振りに無駄な動作などなく、秒速の出来事で虚の爪一つ掠りはしていなかったが、弱り切った身体にはその動作も霊力の消費も堪えた。斬魄刀を鞘に納めると同時に、視界が霞む。ギリギリ意識を繋いでいた霊力さえ底を尽いたようで、もう立っていることさえ困難だ。まさか、決定的な打撃を受けることなく地に伏すことになろうとは思っていなかった。
 意識が暗転する直前に聞いたのは、カラン、という下駄の音。黒く塗りつぶされた瞼の裏に、懐かしい影を見た気がした。



鵺使いと笑う帽子




「生きてる……」
 あまりにも普通に暖かい布団の中で目が覚めて、は一瞬すべてが夢だったのではないかと思った。"あの男"の私室に招き入れられたことも、無防備に見えたその背中に刃を向けたことも、返り討ちに遭い身に大きな傷を受けたことも、すべて。だが、が今いる畳の部屋は、自室でも実家でもなく護廷の隊士室でもなかった。もしすべてが夢であったのなら、この三か所のうちのどこかで目が覚めていたはずだ。目覚めたのは見知らぬ場所ではあったが、しかし恐れはなかった。やわらかなイ草の香りの中に混じるのは、知った匂い。匂いの記憶というものは存外色濃いものだ。神経を研ぎ澄ませて気配を探らなくとも、にはこの家の主が分かる。そして、彼の者が自分を害することはないだろうという確信もにはあった。
「お目覚めですか、サン。……ああ、そのまま起きなくていいッスよ」
 音もなく部屋の襖が開く。気配が近付いていることは知っていたから驚きはしない。相手もそのつもりで気配を絶たずに現れたのだろう。言葉に甘え、起き上がろうと右手に入れていた力を抜く。は首だけを声の主の方に向けた。
「お久しゅうございます、浦原元十二番隊長どの。危ないところを助けていただいたようでありがとうございました」
 言葉だけは丁寧には微笑む。
 そんなに、屋敷の主、浦原喜助は「アレ?」と首を傾げた。
「ヤダなー、硬いっスよサン。ボクと貴女の仲でしょう? いつも通りのもっと砕けた口調でイイッスよぅ」
 どんな仲だとツッコミを入れたい気持ちを抑えて、は他人行儀な笑顔を保った。いつも通りも何も、この男に会うのは実に百十年振りである。だが、そこに触れれば男の思う壺であることをはよく理解していた。沈黙を保つを見て、浦原は「へぇ?」と目を細める。
「やっぱり罪人と仲良しじゃ嫌ッスかねぇ?」
「まぁ、ついに本物の犯罪者になられたんですか? それは確かに難儀ですねぇ」
「アララ」
 の返しに浦原はぱちくりと目を瞬いた。予想外の返しだったらしい。その事実に満足したのも束の間、浦原はニヤニヤとの顔を見た。その表情に嫌な予感を覚えて、の肩に力が入る。
「罪人だと思ってるワケじゃないなら、なんでそんな他人行儀なんスかねぇ? サン」
「濡れ衣を着せられ尸魂界から追放された元隊長どのに、現役の死神であるわたくしがどうして気安く接することができましょうか。申し訳なさと恐れ多さでとてもとても」
 両手を胸に当て、浦原の視線から逃れるようには目を背ける。浦原から始終楽しそうな気配が伝わってくるのが酷く癇に障った。
「申し訳なさねぇ……そうだ、それならボクのお願い、ひとつ聞いてもらえます? きっと申し訳ないなんて気持ちも、」
「イヤです」
 浦原の台詞を遮っては即答した。このタイミングで言い出す"お願い"など、碌なものであるはずがない。
「即答なんてヒドイなぁ……」
「…………」
 よよよ、と泣き真似をする浦原。白けた目でそちらを見やるに、浦原は出ていない涙をどこからか出してきたハンカチで拭いながら言葉を重ねた。
「ボクはただ、貴女が現世なんかで血塗れになって倒れていた理由を教えてもらいたかっただけなのになぁ……」
 は現世に担当区を持つ死神ではない。所属する二番隊の特殊な性質上、現世に関わるのは専ら諜報活動で必要になる場合だけだった。それだって、二番隊員が現世にいるというだけで余計な憶測を生むので秘密裏に行われる。かつての上官として二番隊に所属していた浦原はそれをよく知っていた。
「……それがお願い、ですか……」
 ハンカチで目元を拭うフリをしてはチラチラとこちらを見やる浦原は見なかったことにして、は苦々しく呟く。浦原に対して反発してやりたい気持ちと、いち死神として尸魂界のために行動すべきだという理性がせめぎあったが、悩んだのはほんの一瞬だった。
「それはどちらかといえば、わたしがお願いするべきなんでしょうね……」
 よろよろと布団から起き上がりながら言うを、今度は浦原は止めなかった。
「……背中の傷、刀傷でしたね」
「…………」
 布団の上で正座し、しゃんと背筋を伸ばしたを確認して浦原は問い掛ける。ハンカチは手にしたままだったが、表情は真剣なものに変わっていた。
 は目を伏せ、言葉を選ぶように一度沈黙する。
「……失敗、したんです」
「失敗?」
 は自分のとった行動、身に起きた出来事を思い返し、着物の袴下部分を強く握りしめた。
「あの男の……藍染の自宅に招かれて、思いっきりお酒を飲ませて、良い雰囲気を漂わせながらひとつの布団に縺れ込んだところまではよかったんですが」
「タンマ!」
「なんですか?」
 話の腰を折られて、は怪訝そうに浦原を見上げた。
「え!? なに!? サン!? 堂々と浮気宣言ッスか!?」
 ほんの数秒前に浮かべたばかりの深刻な表情をあっという間に崩し、目を血走らせながら叫ぶ浦原。彼の言わんとすることを察さないわけではなかったが、思うところが一つ二つどころでなくあったはつんとそっぽを向いた。
「わたし、誰ともお付き合いしてないので浮気じゃないです」
「ボ、ボクと恋人同士じゃないッスかぁー!?」
「昔の話じゃないですか」
 鬱陶しそうには答える。そう、百十年前、浦原が突然の前から姿を消すまでは確かに恋人同士と呼ぶべき関係だった。
「別れ話なんて聞いてないッスよ!?」
「普通百年も連絡取ってなかったら自然消滅でしょ。人間なら死んでますよっての」
「でもボクら死神だし」
 淡々と受け答えるに食い下がる浦原。一見、が優位なようにも思えるが、実はそうではないことは自身が一番よく分かっていた。
「とにかく付き合ってないですから」
 だからこそは毅然と振る舞ってみせるのだが、やはり浦原相手では上手くいかないようで。
「じゃあ付き合って下さい」
「はい?」
 たった一言で、浦原はあっという間に場の空気を自分のものにしてみせた。
「ボクは今だってサンが好きッスよ。ボクに別れたつもりはないけど、サンがそう思ってたならもう一度ちゃんと付き合いまショ」
「……やだ」
「なんでッスか!?」
 浦原の言葉に喜びを感じた自分がいたことをは否定しない。それでも、素直にそれを表してやるのは癪だった。は眉を寄せ、口元が緩まないように細心の注意を払いながら口を開いた。
「わたしは喜助さんなんかキライですもん……」
「……サン。それ、死ぬ程かわいいの分かっててやってます?」
 口と鼻を片手で覆いながらなにかを堪えるように問う浦原に、は己の失策を悟った。口元は制御したつもりだが、どうやら声に滲み出たらしい。こうなればもうは沈黙する他ない。これ以上墓穴を掘るまいと口をヘの字に引き結んだを、浦原は愉しげに眺めた。
サンはなぁーにをそんなにスネてるんスかねぇ? ん?」
 無防備なに浦原の手が伸びてきて、つんつんと柔らかな頬をつつく。の額に青筋が浮かんだ。どうしてこの男は他人を怒らせるのがこうも上手いのか。身体の調子さえ悪くなければ全力で殴り飛ばしていたところだ。今の弱々しい力で殴り掛かったところでこの男を喜ばせることにしかならないだろうと察して、はただ浦原の手から逃れるように顔を背けた。だが、それでもなお浦原の手はの頬を追いかけてくる。しばらく無言の攻防が続いたが、あまりにしつこいその指に、ついにの堪忍袋の緒が切れた。
「あだっ! アダダダ……! 待って、サン! 折れる! 折れちゃう!」
 頬つつこうとする指をむんずと掴み、本来関節が曲がるべき向きとは逆に折り曲げようとする。これにはさすがの浦原も悲鳴を上げた。
「本当に折って差し上げましょうか?」
 は真顔で迫った。
「えええええ困りますよー。この指はさんを気持ちヨくするための指なんブッ」
「ちょっと黙っててください」
 先程まで寝ていた枕を顔にぶつけては浦原の言葉を制す。それと同時に離された指をもう片方の手でさすりながら、浦原はへらりと笑った。
「いやぁ、こういうやり取り懐かしいッスよねぇ……」
 感慨深そうに言う浦原に、は深々とため息を吐く。懐かしいといえば懐かしいが、とても疲れるやりとりだ。
「……そろそろ話を戻してもいいですか?」
「ああ、脱線してしまいましたねぇ」
 誰のせいだと思ってるんだ。他人事のように宣う浦原に言ってやりたい気持ちは山々だったが、これ以上話が逸れても面倒だったのではぐっと堪えた。
「藍染とひとつの布団にもつれ込んだ所まで話しましたが、」
「男の趣味悪いッスよね!」
 がいくら話の方向を修正しようとしても、浦原の言葉はどれも話を脱線させる方向に向かわせようとする。
「ええ、昔からね」
「はは……」
 これ以上話を脱線させまいとがさらりと反撃すると、浦原は珍しく少しだけ困ったように笑った。その意外さに、は思わずまじまじと浦原の顔を見る。すると、浦原は曖昧に笑ったままほんの僅かにの目から視線を逸らした。
「…………」
 その表情をみてようやく、はようやくここまで話が進まなかった理由が分かった気がした。
「……べつに、なにもありませんでしたよ。閨なら少しは無防備になるかと思って誘いに乗りましたが、簪に変えていた鵺十夜で刺す前に逆に鏡花水月で刺されました」
 鵺十夜(ぬえじゅうや)はの斬魄刀で、解放時にはその姿を自在に変えることができ、封印時にもその姿を保つことができる性質を持つ。主たる能力は別にあるため、その性質はごく一部の者しか知らず、無論藍染にも打ち明けたことはなかったが、その優位性をもってしても藍染の隙をつくことができなかった。
「…………それ、何もなくないじゃないッスか」
 の背にあった刀傷の容赦のなさを思い返して浦原が苦笑する。そんな彼をはまっすぐに見つめた。
「……何もないですよ。あなたに話せないようなことは、何も」
「…………」
 後悔しているような、痛ましいものを見るような、それでいて喜びを感じているような。様々な感情の入り混じった表情を浮かべて浦原は沈黙する。すべてを正確に読み取れたとは思わないが、それらの中に自分が欲しかった感情があるのを見付けて、は凍り付きかけていた浦原への気持ちが氷解していくような気がした。
「……喜助さん、わたしのことまだ好きだったんですねぇ」
「さっきからそう言ってるじゃないッスかぁ……」
 拗ねたように言う浦原には笑った。なるほど、自分への想いがあるゆえに拗ねている相手の姿というのはなんだかかわいい。先程浦原もまたを拗ねていると評したが、確かにその通りだと今なら認められる気がした。
「……わたし、本当はずっと怒ってたんですよ。……あの日、午後から一緒に出掛ける約束してたじゃないですか。それなのに、朝起きたらなぜか枕元に桐箱に入った簪が置いてあるし、待てど暮らせどあなたは待ち合わせ場所に来ないし、そんなところにあなたが重罪を犯して尸魂界を追放されたなんていう伝信が響き渡って……。夜ちゃんも、握菱道長も、他にもたくさん、気が付いたらみんな居なくなってて……枕元に簪を置いていくだけの時間があったのに、どうしてわたしだけ一緒に連れて行ってくれなかったんだろうって。怒ってたし、悲しかった……」
サン……」
 浦原はに腕を伸ばす。だが、その手がの頬に触れるよりも先に、俯き加減で話していたが顔を上げた。
「でも、もういいです。真相は早い段階から大方予想がついてました。あなたの居場所も……簪があったから、分からなかったわけじゃない。……会いに行こうと思えばいつでも会えたのに、会いに行かなかったのはわたしも同じです」
 枕元に残されていたのは一見ただの菊の花を模した簪だったが、それには特殊な術が施されており、の霊力にだけ反応して浦原の居場所が分かるようになっていた。普通の死神では使えないほどに莫大に霊力を喰う代物だったが、どうしても浦原に会いたいのであればには苦にならない程度のものである。それでもそれを使わなかったのは、何も言わずに自分を置いていった浦原への反抗心もあったが、一番の理由は、浦原のためだけに持っていたすべてを捨てられないからであった。己の家族や友人も、それまで積み重ねてきた死神としてのキャリアも、にとっては大切なものであり、恋にだけ盲目には生きられなかった。また、浦原から崩玉の話を聞いていた数少ない死神のひとりだったので、事の真相は自分が明らかにしなくてはいけないという義務感もあった。
 抱えていた気持ちのすべてを語り尽くし、は吹っ切れたように浦原と目を合わせる。
「怪我の治療、ありがとうございました。回道が使えないあなたがどうやってわたしの治療を行ったのかは聞かないでおきます。……わたし、帰らなきゃ」
「それは、朽木ルキアの処遇が決まったからッスか?」
 浦原が仕入れる情報にはタイムラグがあるらしい。未だその情報を得ていない浦原には頷いてみせた。
「ええ、極刑だそうです。……やっぱり喜助さんが関わっていたんですね」
 が説明しなくとも、浦原はある程度を察しているようだった。浦原から咄嗟にその名前が出たことで、やはり崩玉はルキアの中に隠されていたのだろうとは確信する。普通に考えれば極刑になるような罪状ではないルキアが極刑になろうとしていることから考えれば、おそらく藍染もそれに気付いて動いたのだろうと推測できた。
「……これまで沈黙していたにも関わらず、ここに来て力量を考えずに藍染に挑んだのもそれが理由?」
「……お恥ずかしながら」
 元来、は力技の荒っぽい戦闘をあまり得意としない。冷静に相手を分析して己との力量の差を図り、弱点を見極め、必要があれば罠をも仕掛けて戦いを行うのがのスタイルだった。彼女にとっては目的を達することこそが勝利であり、とある死神の言葉を借りるのならば、決して"誇りのための闘い"などしないタイプだ。
 今回、己の力量を考えずに藍染に挑んだのは、朽木ルキアの処刑日が決まり時間がなかったからだ。ほんの僅かな可能性への賭けは、やはり失敗に終わった。
「まだ霊力は回復していないでしょう?」
 浦原は少し怒ったように言った。
 は不満そうに浦原を見上げる。
「藍染の企みに気付いているの、わたしだけなんです。早く戻ってなんとかしないと……この義骸から出れば、霊力は回復できるはずです」
 霊力は相変わらず底を尽く寸前だが、傷が癒え、気力も体力も回復してきた今、回道が使えれば大幅に霊力も回復できるだろう。体力が回復しているのに霊力が回復していないということは、今入っているのはおそらく浦原が用意した霊圧遮断型の義骸のはずだ。
「それが今すぐ尸魂界に帰らなきゃならない理由なら、やはりしばらくここに留まった方がいい。サンがいまその義骸を脱いでここから出て行ったところで、霊力を捉えられて藍染に殺されるだけです」
「…………」
「誰にも告げられず百年待ったくせに、朽木サンの件で焦り、奴と相対した貴女なら分かるでしょう。今戻っても、死しか待っていないことくらい」
 藍染との間に力の差があることは分かっている。隊長格の死神たちの力を借りられれば良いのだが、恐ろしいことに尸魂界内で彼の男には人望があり、ひとりの言葉だけでは味方を得られそうになかった。すべてを把握しているだろう浦原からならば助力を得られるかもしれないと考えていたが、その様子から察すると難しそうだ。は唇を噛んだ。
「……じゃあ、どうすればいいっていうんですか。わたし、何のために百十年もあなたにも会わず、藍染に取り入り、情報を集め続けてきたっていうんですか……」
 来たる日のために、時には砕蜂にも頼み込んで、血の滲む様な鍛錬を行ってきた。そのすべてが無駄だったというのか。
 やりきれなさに思わず涙ぐんだの目元を、放った言葉の割に優しい触れ方で浦原の親指が拭う。
サンがそんなに心配しなくとも、手なら打ってます」
「え?」
 パッと目を合わせたを安心させるように、浦原は穏やかに笑いかけた。
「今ね、朽木さんを助けたいっていう心強い味方たちが尸魂界に向かっているんスよ。崩玉のことなんか知らない人たちですが、彼女のことを思う気持ちと、日々成長していくあの能力はきっと朽木サンを助けてくれるはずです。なぁに、夜一サンも一緒ですから、心配なんていりませんよ」
 浦原の説明に、ぱちくりとは目を瞬く。浦原としてはここで感動の抱擁のひとつでももらいたいところだったが、の意識は別の方向に向かっていた。
「えっ! じゃあ夜ちゃん今尸魂界にいるの!?」
「まあ、そうなりますねぇ」
「やだ、それなら本当にもうちょっと待ってればよかった……」
 にとって、夜一は浦原よりも付き合いの長い、それこそ幼少の頃からの馴染みである。かつて彼女はの上司であり、姉のような存在でもあり、よき友であった。彼女の性別がもし男であったなら、が恋人に選ぶ相手は間違いなく喜助ではなく夜一であっただろうと思うほど、夜一はにとって親しい相手だった。
「ちなみに朽木サン救出の任務が終われば夜一サンはこっちに戻ってくる予定ッスよ」
「……分かりました! ここで夜ちゃんを待ちます!」
 しゅぱ! と良い子のように挙手をしてが答える。そんなを浦原はじとりと睨んだ。
「なんなんスか、その急な物分かりの良さ……」
「いや、言われてみればわたしが帰ってもどうにもならないのは事実かなって。それならここで夜ちゃんを待ってた方が有意義ですし」
 浦原の不機嫌な様子など気にもせず、はにこにこと笑う。先程までの陰鬱な様子とは打って変わって、今は全身から幸せオーラが滲み出ていた。
「そこは"喜助さんと一緒に居たいんです!"って頬を染めて言うところじゃないッスか!」
「……"喜助さんと一緒に居たいんです!"」
 浦原とは対照に機嫌のよかったは、夜一に再会できるかもしれない嬉しさを全開にしたまま浦原のリクエストに応えた。
「なんか期待してたのと違う。でもちょっと嬉しい自分がカワイソウ!」
 ワッと両手で顔を覆って泣き真似タイムに入った浦原には一瞬面倒臭そうな視線を向けたが、仕方ない人だなぁとため息を吐くと、ツンと浦原の着物の袖を引っ張った。浦原が泣き真似を止め、視線をこちらに向けたのを確認しては口を開く。
「……一応、これでも喜助さんを信頼してるから素直に夜ちゃんを待てるんですよ」
 他の誰が"大丈夫"だと語りかけても、は真正直にそれを信用したりはしない。浦原は性格にいささか難はあるが、死神としての能力、状況や人を見る目、そして仲間を大切にする心意気は本物で、たとえ先程に掛けた言葉が嘘であったとしても、それはそう思い込ませることがにとって最善であると判断したからだろうと思うことができる男だった。
「…………。サンってほーんとずるいッスよねぇ……」
「喜助さんほどじゃないですけどねぇ」
 降参だ、というように天井を仰ぐ浦原に、は苦笑いする。
 ほんのしばらくの間穏やかな時間が流れたが、それは突如聞こえてきた足音によってすぐに崩された。
「店長ー! 客でも来てんのかー?」
 スパン! と勢いよく部屋の戸が開けられる。現れたのは人間の子供言えば小学校低学年くらいの少年だった。
「ジン太……」
「あ? 店長、ついにお気に入りの義骸に義魂丸入れて遊び始めたのか? 悪シュミだなー」
 誰だろう、とが考えたのも束の間、少年がら発された台詞には眉を寄せた。浦原に誤魔化される前に、と頭を回転させて口を開く。
「……。ついにってどういう意味だピョン?」
「しかもチャッピーかよ……。テメーが入ってるその義骸、店長がよく一緒に寝たりお風呂に入れたりしモガッ!」
 女性死神に人気の義魂丸の口調を真似てやれば、ジン太と呼ばれた少年あっさりとそれを信じ、とんでもない言葉を漏らした。一緒に寝たりお風呂に入れたり……?
 浦原が慌ててジン太の口を塞ぐがもう遅い。はしかとその耳で聞いたのだ。
「……どういうことピョン?」
「誤解ッス!」
「誤解? なにがどう誤解なんだピョン?」
 ぬらりと立ち上がって、はジン太の目の前に移動していた浦原の背後に立つ。ジン太の口を押さえ背後にいるの姿を見上げた浦原は、鵺十夜は発動されていないはずなのに、そこに般若の姿を見た。
「そ、その義骸は百十年前、サンがすぐにボクを追いかけてきてくれても使えるようにと作ったもので、」
「つまり、百十年前からこの義骸を"使っていた"と……? ……最低ピョン……近付かないでほしいピョン……」
 ジン太が目撃したのは"一緒に寝たり""お風呂に入れたり"した場面だろうが、浦原の性格を考えれば彼が義骸に行ったのが"それだけ"だったはずがない。は蔑みの目を浦原に向けた。鵺十夜の柄を握ろうと手を伸ばしたが、斬魄刀はの身から外された状態で先程まで寝ていた布団の枕元に置かれており、手が空を切る。得意の鬼道も、霊力がほとんどない今の状態では発動できず、は舌打ちした。
「へー、人形遊びが好きなオッサンは義魂丸にとっても気持ちわりーものなのか……」
 口を塞ぐ浦原の手を外し、ジン太が正直な感想を述べる。と浦原の間に流れる空気の悪さには気付いてないらしい。
「いや、あのう、中に入ってるのは正真正銘現役の死神でアタシの恋人ッス……」
 この状況下でよくそんな的外れのフォローができるものだ、とは他人事のように思った。恋人の件に関しては了承した覚えもなかったが、もう突っ込む気力もない。上昇していた血圧が急速に下がっていくような感覚がした。
「は!? このねーちゃん死神!? 男の趣味わりーな!」
 その台詞を聞くのは本日二度目で、自身も自分は男の趣味が悪いのではないかとまじめに思う。
 他にも思い浮かんだ言葉はいくつもあったが、どういうわけかどれも声にはならなかった。ただ、酷く身体が重い。浦原とジン太の声が遠くなっていく中、ようやくは想像以上に気力も体力も消耗している自分に気付いた。平衡感覚が危うい。こんなところで意識を手放したくはないのに、の身体には強制的に休息が与えられようとしていた。
「おっと」
 浦原はとっくにの様子に気付いていたようで、ぐらりと傾いたの身体を難なく受け止める。恐る恐る顔を覗き込めば、つい先程まで静かな怒りを湛えていた瞳はすっかりと閉ざされ、くうくうと寝息を立てていた。浦原はほっと一度胸をなでおろし、それからじわじわと湧き上がってくる感情に口元を緩めた。
「……おかえりなさい、サン」
 百十年の時を経てようやく自分の腕に戻ってきた愛しい魂の額に、浦原は口付けを贈る。……さて、次に彼女が目覚めたとき、どうやって彼女のご機嫌をとろうか。
 の好きだったものをあれやこれやと思い返しながら、意識のない彼女を再び布団に戻すべく抱き上げた。




2016.5.15