それから先は、彼女の独擅場だった。
いつの間に用意していたのか、刃渡には細い糸のようなもの(実は人形作りの材料である)が巻きつけられており、その糸を引いて刃渡を地面に転がすと、これはまたどこから取り出したのか長い特殊なロープで刃渡を縛り上げてしまったのである。
あまりの鮮やかな手つきに、双識は唖然としてしまった。
「さーて。怪我人の治療といきましょうか」
は、物凄く小さい変わった形の針と、刃渡りを転ばせた糸より更に細い糸を取り出してにこりと笑った。
「元々人形の修理用だから麻酔はないので、我慢して下さいね?」
双識はさっそく生きていることを後悔した。





人形師と殺人鬼





「く……はははっ……げほっ、はっ……も…やめ」
「知ってます? 人間、痛みには耐えられても、くすぐったさには耐えられないんですってよ?」
それを知りながら、手足を縛られている刃渡の腰をくすぐるは鬼だ。
息も絶え絶え、刃渡はやめてくれと繰り返す。
本物に苦しそうだ。
やめてくれ! と、苦しそうに笑い転げている刃渡を見て、双識は敵ながらその姿に同情してしまった。
「彼を、殺さないのかい?」
地面に仰向けで寝転がったまま、双識はに問う。
腹の傷はの技術によって塞がれたあとだった。
縫っただけなので、激しい運動は許されていないが。
はいったん刃渡をくすぐるのをやめ、双識の方をじっと見つめた。
「わたしは、殺人鬼でも殺し屋でもないんです。殺してどうするんですか」
言っときますけどわたし、殺人歴はありませんからね。
そう言うと、はまた刃渡をくすぐり始めた。
今度はねこじゃらしで足の裏をくすぐることにしたらしい。
くすぐりが止んだことによって息を整えていた刃渡は、再び始まった攻撃に身を捩る。
「げほっ、っく、ははっ……はっ、も、もう一思いに殺せばいいだろう!?」
「今の会話聞いてなかったんですか? わたし、人を殺したことなんてありませんよ」
殺そうと思ったことありませんし。
笑い続けているのがよっぽど苦しいのか、半ば自棄になったように刃渡が叫ぶ。
しかしは呆れたように拒否するだけだった。
「ほら。こんな単純なことだって、苦しいと思うでしょう?」
彼女の笑みは美しかった。
一瞬過去のと重ねて見惚れた双識だったが、彼女の紡いだ言葉の真の意味に気付き、顔を青くする。
くすぐりという拷問を単純だというのだ。
彼女は一体、自分には何をするつもりなのだろう。
このとき、双識は目の前のが本物であることをすでに理解していた。
殺したはずの彼女が生きていた、そのトリックも。
そう、がかの有名な人形師であるのならば、それは簡単だ。
自分が殺した方こそが、人形だったのだ。
は、予期していたのだろう。
いつか、その日が来るかもしれないことを。
結果的に自分は、彼女を殺さずに済んだ。
、」
彼女に話し掛けようと口を開いた、そのとき。

「だらあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

突然聞こえた雄叫びに、は反射的に飛び退った。
ざんっ、と先程までがいたあたりに匕首が刺ささる。
「うわあ……」
は顔を引きつらせながら、特攻をかけてきた人物を見た。
高校生くらいの、少女。
彼女は地面に刺さった匕首を抜くと、再びに向かってきた。
「ちょ、ちょっと待ってお嬢さん! たぶん敵じゃありませんから!!」
匕首の攻撃を避けながら、は叫ぶ。
しかし、少女は問答無用といった感じだった。
「い、伊織ちゃん! 彼女は味方だから! 攻撃やめて!」
「え……?」
しばし唖然と様子を見ていた双識がはっとしたように叫んだ。
その声を聞いて、少女は攻撃をぴたりと止める。
はほっと息を吐いた。





「ほんっと〜にすみません! 兄の命の恩人だとは知らずに襲い掛かったりして」
「気にしないで下さい。零崎が家族を大切にしてるのは知ってますし。あの状況じゃ勘違いしても仕方ありませんし」
手首を押さえながらぺこぺこと謝るに、はひらひらと手を振ってみせた。
「本当にすみませんでした……」
それでもなお謝り続ける伊織に苦笑する。ああ、彼女が零崎なんて信じられない。
「もういいですよ。それより、手、探しに行かないといけませんね。今ならまだくっつけてあげられると思いますし」
「え!? そんなことできるんですか!?」
「ん? まあ」
今回は色々な場合を想定して、様々な器具を持ってきている。
大体は人形作りに使う道具だったが、の作る人形は本物の人間と大して変わらないので、それで充分だった。
「それに、費用はそこのおにーさんが払ってくれるでしょうし」
その言葉に、双識はぎょっとした。
「有料なのかい!?」
「当たり前でしょう。慈善事業じゃないんですから」
は淡々と返す。双識は焦った様子だった。
「もしかして私の腹をふさいだのにもお金がいるんじゃ……」
「当然です。なんで双識だけ特別なことがありましょうか。倍の金額頂きたいくらいですよ。自分の行動を顧みなさい」
「ハイ……」
思い当たることが多いだけに、双識はうなだれる。
「お兄ちゃん格好悪いです」
可愛い妹が、とどめを刺した。






20080606