「やあ、涼宮さんじゃないか!」
以前にも、こんなことがあった。
それは、既視感。
ただ違うのは、肩に手を乗せられはしなかったということで。
は振り向かない。
人違いだ。
振り向く必要なんか、ない。
反応さえ返さず、ただ歩き続ける。
するとに声を掛けてきた人物は、その長いリーチを利用して、の前に回り込んだ。
「ねぇ、」
刹那、相手が息をのんだ様子をみて、は気付かれない程度に小さく笑った。





人形師の憂鬱、再び





ちゃん……?」
5年前とナンパの方法が変わっていない。
そんなどうでもいいことを考えつつ、は首をかしげてみせた。
「どちらさまですか…?」
「私だよちゃん! 零崎双識だ!!」
がっ、と物凄い勢いで双識がの両肩を掴んだ。
「えーと……」
いかにも困ってます、という表情を浮かべては相手を見つめた。
ふつう、知らない人間にこんなことをされたら女の子はびびるだろう。
そんなの様子を見て、はっとしたように双識はの肩から手を離す。
「君、名前は?」
、ですけど……」
わたしのこと、ご存知なんですか?
何も知らないように聞けば、双識の表情は一瞬にして曇った。
そして、そうだよな…彼女はもう、なんてひとり呟く。
彼の考えていることは、容易に想像がついた。
自分が殺したはずの女が、なぜここにいるのか。
疑問に思うのは当然だ。
からしたって、これはあってはならない邂逅だった。
わざわざ、彼と出会った土地を離れてきたというのに。
見つからないように、生きてきたというのに。
これでは、意味が無い。
しかしこれがあの狐の言っていた縁というものだろうか、と考えて、は心の中で嘲笑った。





思ったよりも早く、双識は疑問に対する結論を出したようだった。
ちゃんは、人形師を知っているかい?」
「惟苑のことですか…?」
再び重なった思い出を塗り替えるように、は答えた。
そしてこの答えは、双識に対するヒントでもあった。
人形が人形師のことを呼び捨てにするなんて、そんなこと、
気付かれてはいけないことなのに、心のどこかでは気付いてほしいと思う。
そんな矛盾した想い。
しかしの心配をよそに、気付かない双識は、ああそうか…なんて悲しそうな顔をする。
「情報が足りないなんて、はったりか」
双識は呟いた。
裏の世界では名高い人形師。
情報が足りないなんてそんな理由で、依頼を断るはずがない。
見れば、記憶の彼女よりも随分と大人びている。
それはつまり、彼女の成長も考慮して人形を作ったということなのだろう。
そう、それだけの技術を、人形師は持っている。
ともすれば、依頼を断った理由は他にあるはずで。
ちゃん。君の保護者は、」
いったい誰だい?
そう聞こうとしたところで、背後から「」と呼ぶ声があった。
「潤さん!」
困ったような表情を、ぱっと花の咲くような笑顔に変えては声のした方を向いた。
ぱたぱたと仔犬のようにはそちらのほうに駆け寄っていく。
それだけで、彼女とは違うのだと思い知らされているようだった。
彼女は、は、あんなやわらかい笑顔を作る人間じゃなかった。
少なくとも、自分の記憶の中では。
そして、の名を呼んだ人物を確認した時、双識は軽く絶望した。
「帰ってくるのが遅いから心配したぞ」
「あはは、すみません潤さん」
それは、双識が憧れてやまない、
それは、敵に回せばとても怖ろしい、
赤い、人類最強。
「そっちのやつは?」
彼女の視線が、双識を射抜いた。
それは明らかに、友好的なものではなく。
「零崎さん、っていうそうですよ」
にっこり。
そんな効果音が似合いそうな表情で、は告げた。
無論、告げるまでも無く2人の女はそんなことなど知っているのだが。
双識は知らない。
「へえ、零崎、ねえ?」
冷たい汗が背中を流れていくのを、双識は感じた。
引きつった笑いを、顔に浮かべる。
「あたしのかわいいたんをナンパするとは、いい度胸じゃん?」
「あ、あははは……。……ちゃん、またねっ!」
人類最強の、とどめの一言。
その言葉で、双識は脱兎のごとく逃げ出した。
なるほど、人形師が自分の依頼を断ったわけだ。
走りながら、双識は思う。
彼女のためにの人形を作っていたとしたら、他の人間の為に同じものを作るわけにはいかないだろう。
それには、が生前人類最強と関わりがあったことが前提なのだが、軽くパニックを起こしている双識は思いつかない。
思考に突っ込みを入れてくれる人間などいるはずもなく。
それはただ、にとっては都合のいい勘違いとして成立した。





「助かりました。ありがとうございます、潤さん」
「かわいいたんのためならなんのその」
頭脳勝負もそれなりにできたんですね。
その言葉を、は慌てて脳内から振り払う。
目の前の人類最強は、怖ろしいことに読心術を心得ているのだ。
「“またね”か……。あいつ、またたんに会うつもりでいるみたいだぞ?」
「うーん…、困りましたねぇ……」
人類最強哀川潤でさえ読みきれない複雑な感情が、そこにはひとつ。
こんな会話が、自分が去った現場で成されていることなど、双識は当然知るはずがなかった。





誤解は、さらなる誤解を。






20070930