学校の、帰り道。
「やあ、涼宮さんじゃないか!」
そんな声と共に、肩に手を置かれた。
ハルヒかよ、と心の中で突っ込みつつ、わたしはゆっくりと振り返る。
明らかに人違いだが、肩に手まで置かれてしまっては無視するわけにもいかない。
だがしかし、振り向き相手の顔を見た瞬間、わたしは大いに後悔した。
しまった、肩に手を置かれていようが人違いなんだから無視するべきであった、と。
「…あの、人違いです」
わたしは涼宮という名前ではありません。
とりあえず、言ってみる。
事実なので問題は無い。
わたしに声を掛けてきた彼は、仰々しい様子で驚いた顔をしてみせた。





人形師の憂鬱





ずいぶんと古典的なナンパに引っ掛かってしまった、とは心の中で毒吐いた。
目の前には、針金細工のような男。
そのやたら長い手足は、カマキリをも彷彿させる。
髪が長すぎるせいだろうか、身に纏っているスーツと銀縁の眼鏡、オールバックという恰好が恐ろしいほど似合っていない。
「すみません、離してもらえませんか」
人違いだと言ったのにもかかわらず、男はにこにこと笑っての肩に置いた手を離していなかった。
一見やんわりとおいているだけのようだが、下手に動けば肩が外れてしまいそうな掴み方だ。
「ああ、いや、すまないね」
きっちりと意思を示せば、男は意外にもあっさりと手を引いた。
は2、3歩後ずさって、男から距離をとる。
軽く頭を下げて、そのまま立ち去ろうとした。が。
「ちょっと、いいかい?」
背を向けたところで、再び声を掛けられる。
嫌々ながら、なんとか表情を崩さずには振り向いた。
「君の名前を聞いてもいいかい?」
まずは自分の名前から名乗るべきなんじゃないですか、という言葉をは飲み込んだ。
、です」
満面の笑みを浮かべて、男は零崎双識と名乗った。
「……ずいぶん、縁起の悪い名前ですね」
小さな声で呟いただけだったのだが、双識には聞こえたらしく、葬式じゃなくて双識だよちゃん! と叫んだ。
( だからこそ、縁起が悪いんじゃない。“零崎”双識なんて、ねえ?)
そもそも、が先ほど素直に名乗ったのはそれが理由だったりする。
は知っていた。
目の前にいる男が、裏の世界では有名な殺人鬼であると。
容姿まで知ったのはついこの間のことだけど。
零崎双識の人形を作ってほしい、と依頼されたのは記憶に新しい。
「なにか、御用ですか?」
まるで何も知らない一般人かのように、は首を傾げてみせた。
業界での顔を知っている者はごく僅か。
知らないフリをすれば、誤魔化せる。
「人を、探しているんだ」
「涼宮さん?」
「は? ……あ、いや、そうじゃない」
双識は一瞬、なぜ涼宮などという名前が出てきたのか不思議に思ったが、それは先ほど自分が目の前の少女に話しかけたときの名前だと気付き、否定した。
「それではいったい…」
ちゃんは、人形師を知っているかい?」
誰を、と続くはずだったの台詞は、双識によって打ち切られる。
「人形師?」
一瞬、ぎくりとした。
けれど、できるだけ、できるだけそれを感じさせないように、は疑問を口にした。
「うん。人形を作っている人らしいのだけどね」
まんまかよ。
心の中で突っ込みつつも、が首をかしげたままでいると、双識はう〜んと唸った。
「お人形さんのことなら、女の子が詳しいと思ったんだけどなあ……」
そんな無茶な。
ごく普通の女の子は、いわゆる彼の指す“人形師”のことなんて知らないだろう。
まあそんなことを心の中で思うは、必然的に“普通”からは外れてしまうのだけれど。
(まさか、わたしのことを知ってて話しかけてきたわけじゃないよね…?)
ごく一部の人間……信用できる、たった1人の人間以外に、は裏の顔を見せたことは無い。
となると、ただの偶然か。
あるいは、この零崎双識という男の勘がものすごくいいだけかもしれない。
「お役に立てなくて、ごめんなさい」
しゅん、とは肩を落としてみせる。
「いやいやいや! ちゃんが悪いわけじゃないよ!!」
双識は慌てて手を振った。
「いやはや、時間をとらせてしまったね。…これはほんのお詫びだよ」
双識はスーツの内ポケットを探ると、の手を取り何かを握らせた。
「……?」
いったいなんだ、とが手を開こうとする前に、双識が声をあげる。
「それじゃあちゃん、連絡待ってるからね!!」
「…え? あの、」
が言葉を紡ぐ暇も与えず、双識は颯爽との前から去っていった。





「……メールアドレス?」
手に押し込まれた、小さな紙に記された文字と数字の羅列。
…まさか、本当にただのナンパだったわけ?
押さえていた緊張を吐き出すような、けれどどかか呆れを含んだ溜息をひとつ、人形師は吐いた。






20070927