長年友人だった男にふたり旅に誘われたときには、もしかして、と思ったのだ。
たしかに私たちはよくふたりきりで出かけたし、飲みに行って朝まで語り合うこともあった。
けれどそれは私たち以外にも多く客のいる店でのことで、お互いの家で宅飲みをしたり、ホテルなどの密室でふたりきりで会うということは未だかつてなかったのだ。
だから「、少し遠くまで旅行しない? ふたりきりで」と満面の笑みでシャルナークに問われたときにはいくら恋愛偏差値の低い私といえども身構えたし、是の返事をするときには覚悟も決めた。
上下の揃ったかわいい下着を新調したし、エステにも行った。毛の処理だってちゃんとしたし、夕飯のプリンだって我慢した。
そうしてやってきた旅行当日。
異国情緒あふれる街の観光を堪能して、ホテルにチェックインした。
もしも予約されていたのがシングル2部屋の予約だったのなら私はその時点で己の妄想を恥じたことだろうけど、渡されたキーはおしゃれなツインの部屋のもの。ダブルではあからさま過ぎるし、妥当な線だろう。自然と心拍数が上がる。
だが、夜も更け、シャワーを浴び終わっても尚そのときは訪れなかった。
いつも飲み屋でするように、くだらない話から難しい話までたくさんの会話を交わして。
そうしているうちに旅の疲れもあってか思考が鈍くなってきたので、私は一足早く自分のベッドに潜り込んだ。
やりたいことがあるからと持参したパソコンを弄るシャルナークを横目に、私は勘違いだったかなぁと思いながらも目を閉じる。
眠気はあっという間に訪れた。





ロールキャベツ女子





「あーーーーーーもう! 我慢なんてしてられるか!」
突然のシャルの叫び声に、沈みかけていた私の意識がほんの少し浮上する。
それでも、私は未だまどろみの中にいた。
、もう寝た?」
ギシリ、とベッドの鳴る音がする。
いつの間に傍までやってきたのだろう、顔のすぐ近くでシャルの声がした。
「んー……」
返事をしようとするが、眠すぎてきちんとした言葉にならない。
そうしているうちに、シャルの吐息が私の顔に触れるほど近付いた。
額の前髪をそっと梳かれて払われる。
……ちゅ……
そして、おでこに落とされたやわらかい感覚。
あれ……いま、キスされた……?
うとうとしている最中のどこか心地の良い感覚に、私の口元はゆるく弧を描く。
ちゅ……ちゅっ……
そうしているうちに、頬っぺたに、鼻の頭にと次々と口付けが落ちてきた。
あー……なんか、これ、ほんと気持ちいー……。
……」
囁くように私を呼ぶ声。
その声を紡ぐ唇が、いよいよ私の唇に重なった。
ちゅっ……ちゅっ、ちゅ、くちゅ……
最初は掠めるほどだった口付けは、徐々にその深さを増す。
「ん……ぅん…………?」
半ば夢の世界に意識を飛ばしつつも、感じた息苦しさに思わず呻いた。
……」
その声は酷く甘やかだった。
「シャル……? な……ふぁ、」
なに、と問いかけようとした声は再び落ちてきたシャルの唇に飲み込まれる。
薄く開いた唇に差し込まれた舌は私の口内をやわらかになぞった。
眠さと心地よさと息苦しさが混ざり合って、私の意識はそのままどこかに飛んで行ってしまいそうだった。
……?」
「んー……」
未だ覚醒しない私に気付いてか、シャルが何度も私の名前を呼ぶ。
けれどその声すら耳に心地よくて、私は夢心地だった。
…………ちゅっ
そんな私の様子に焦れたのかもしれない。
ただひたすら優しく甘やかに落とされていた口付けが、突然ぴりりとした痛みを伴って首筋に落とされる。
私は思わず目を閉じたまま眉を寄せた。
「んんっ…………うー……シャル邪魔……」
「え、ちょ、? 自分がなにされてるか分かってる?」
「ねむい…………」
「はぁ!?」
気持ち良くない口付けならいらない。
私はもぞもぞと寝返りを打ってシャルに背を向ける。
「ごめ……今うつらうつらしてていい気分なの。今日はもう寝させて……」
そう言い残して夢の世界に旅立とうとすると、それを引き止める声があった。
当然、シャルの声である。
「ちょっと待ってよ。オレはもうすっかりその気なんだけど」
「また明日にしよう」
シャルの下半身事情なんて知ったことか。
私は今日はもう寝るの。眠たいの。
「明日までなんて待ってられないって。ていうかそれだと明日なら良いみたいな言い方じゃん!」
「うんうん。だから明日ね……」
だから今はとにかく眠らせてくれと掛け布団を頭まで被った。
「ちょっと!? 本当に寝るつもりなの!? このままだったら寝てる間にオレに何されても文句言えないよ!?」
身体を痛めつける目的じゃなければべつに何されてもいいけどね。
けれどそんなことは口に出してはあげない。
「もー……うるさいなぁ……大体にしてこっちはちゃんと構えて来たのに、今の今まで放置してたのはシャルじゃん……」
安眠を邪魔された私は、一度布団から顔を出すと、いらいらしているのを隠しもせずにそう答える。
「えっ、なにっ!? それどういうこと!?」
「はいはい、それも明日ね」
尚も言い募ろうとするシャルの首に、私は両腕を伸ばした。
薄らとだけれど頑張って眠たい目を開けて口元に笑みを作る。
彼の太い首にぶら下がるようにして自分の上半身を引き上げた。そして、
……ちゅっ……
「おやすみ、シャルナーク」
最後の最後で私の方からおやすみのキスを彼の唇に送ると、そのまま意識を手放して私はめくるめく夢の世界へと旅立った。





「はっ!!」
どのくらいの間そうしていたのだろう。
3秒かもしれないし、10分かもしれない。
彼女の方から口付けられるという予想外の展開にシャルナークは少しの間固まっていた。
? !?」
「むにゃむにゃ……」
呼びかけてみるが彼女はもう完全に夢の中。
さーん……?」
幸せそうに眠る彼女を起こすのは忍びなく、シャルナーク結局情けない声で彼女の名を呼ぶしかなかった。





「ん……んー……ああ、朝か……。おはようシャル……って、うわっ!」
「おはよう
朝起きると、私はシャルナークの腕の中にいた。
それはまぁいい。朝起きてどうなってても文句は言えないと思っていたから、このくらいならば全く問題ない。
特に身体に違和感も感じないし、他になにをされたというわけでもないだろう。
それよりも、
「どうしたの、シャル。顔、酷いよ?」
目の下にはくっきりと濃い隈が出来ているし、心なしか昨夜よりもげっそりした気がする。
「昨夜は眠れなくてね……」
人間、たった一晩眠れなかっただけでここまでなるものだろうか?
「自分の中の煩悩と戦っていたら想像以上に大変で」
私の心の中を読んだようにシャルが言う。
「それはなんていうか……ごめん?」
もしかしてもしかしなくても私のせいだったりするんだろうか。
昨夜のことは一応ちゃんと覚えている。
いや、でもあの瞬間まで行動を起こさなかったシャルも悪いと思うよ。
「拒絶されたら無理矢理でもモノにしてやろうと思ってたんだけどさー……」
「けど?」
聞いてもいない、というか聞きたくない本音をシャルが語りだす。
無理矢理ってオニーサン……。
けれども続きが気になって私はその先を促した。
ってばキスしても舌入れても拒絶しないし、終いには幸せそうにおやすみーなんて微笑まれてオレはもう、」
泣きたい、とでもいうようにシャルが両手で自分の顔を覆う。
ばつが悪くなった私は思わず謝罪した。
「私は悪くないけど、なんかごめん」
「うん」
シャルが両手を顔から放した。
一見純粋そうな緑色の瞳がこちらをじっと見つめる。
「あのさ、昨日の話の続きなんだけど」
「昨日の話?」
私は首を傾げた。
「ほら、こっちはちゃんと構えて来たのにーっていう」
「ああ、」
そういえばそんなことも言ったな。ああ、と私はもう一度頷く。
「…………」
シャルは無言でこちらを見ていた。……え、早く続きを言えよ的な?
「あーいや、まぁ、なんていうか、」
「うん」
どこか恥ずかしさもあって、なんと説明したものかなぁと私は思考を働かせる。
でもここまで言ってしまったのなら誤魔化しても仕方ないだろう。
私は腹をくくって素直に思ったままを話すことにした。
「シャルと旅行に行くの……っていうか、ふたりきりで夜を過ごすなんて初めてのことでしょ」
「……そうだね」
シャルが頷く。
「だから、その……誘われた時点でそういうことなのかなぁ、って思って……」
しっかりと内容を告げるのはさすがに恥ずかしくて、私は曖昧に言った。
「“そういうこと”ってどういうこと?」
案の定、それをシャルに突っ込まれる。
「だっ、だから……!」
「うん」
赤面し、言いかけてはっとした。
「ちょっとシャル! 分かってて聞いてるでしょ」
「うん」
「っ、っ!!」
分かってる、この男はこういうやつだ。
分かってはいても乗せられかけた自分が恥ずかしくて、口をぱくぱくとさせながら声にならない抗議をする。
怒んない怒んない、とシャルは笑った。
「それって、オレとならそういう関係になってもいいって思ってたととっていいんだよね?」
「まあ……」
こちらにはみなまで言わせようとしたくせに自分はちゃっかり濁して尋ねるシャルに釈然としない気持ちになりながらも、はっきりと言われたところで困るので素直に頷く。

「ん?」
穏やかな声が、私の名前を呼んだ。
ああ、この声、好きなんだよなぁ……。
「好きだよ」
告げられた言葉に、一瞬自分の方が声を出してしまったのかと思った。
目の前では優しげに目を細めたシャルが微笑んでいる。
あれ、いま私、シャルに好きって言われた……?
「! わ、私もシャルナークが好きだよ」
「うん」
慌ててそう返すと、すごく、ものすごく幸せそうにシャルが笑うので、不思議と自分の心も満ち足りていくようだった。





……のだが。
「あ、あの……シャルナークさん?」
「なんですか、さん?」
告白が済むや否や、私の上に馬乗りになったシャル。
「日も高いうちからこんなことをするのは健全じゃないと思うのですが」
「そもそも行為自体が健全じゃないでしょ」
ごもっとも。
本気で振り解こうと思えば振り解けなくもない拘束を私が解かないことをシャルは指摘しなかった。
かといって、私にこのまま行為に及ぶ気があるわけでもないのだけど。
「今から始めたら観光できないんですが」
「いいじゃんべつに」
「よくないよ。私、観光も楽しみにしてたんだから」
「ふぅん……?」
「な、なに?」
「観光“も”、ね?」
「!!」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるシャルに、私は思わず赤面した。
これじゃあまるで、私がシャルに抱かれたかったみたいじゃないか……!
いや、そうなってもいいかな、とは思っていたけれど別に積極的にそうなりたいと思っていたわけでは……!
でも、口に出さなければ全く意味のない言い訳を口に出せないでいるのは、心のどこかでそうなりたいと思っていたんだろうか?
うあー……もうやだ、恥ずかしくて消えたい!!
葛藤する私の上で、やれやれしょうがないなぁ、とシャルが溜息を吐いた。
私の上からゆっくりと退いたシャルを私は横目でちらりと見る。
すると、一度は遠ざかったシャルの顔が私の耳元に近付いた。
そして囁く。
「……今夜は、絶対だからね」
「……! ……う、うん。でも、その……」
全身真っ赤になりながらも、私はなんとか言葉を紡ごうと口を開いた。
「うん?」
口をもごもごと動かす私を見て、シャルがこちらに耳を傾ける。
だから私は、内緒話をするように両手をシャルの耳に当てて囁いた。
「初めてだから、優しくしてね……?」
「!!」
途端に耳まで真っ赤にして、ばっ、とこちらを見るシャル。
その顔を見て、してやったり、と私はほくそ笑んだ。
……やられっぱなしは性に合わないんだよね!
「あー……もうズルイなぁ、は」
赤い顔のまま天井を仰ぎ、そうごちたシャルのことが先程よりもいっそう愛おしく感じた。






2012.9.10