*1

望んで来たはずの、HUNTER×HUNTERの世界。
大好きなキャラのひとりとも出会うことなく、この世界にやってきてからもう五年以上もの月日が流れた。
最初は、ゴンやキルア、それに幻影旅団たちと会ってみたかった。
実際、会おうと思えば不可能ではなかったと思う。
この世界に着いたとき、世界はまだ原作よりも前の時代だった。
私はゴンがくじら島にいるのを知っていたし、キルアやイルミがククルーマウンテンにいるのも知っていた。
たぶん、流星街に行けば、いつかは旅団の誰かしらには会えたのではないかとも思う。
しかし、私はそれをしなかった。
いや、できなかった、と表現する方が正しいだろう。
私には、圧倒的に力がなかった。
あの企業がしてくれたのは本当にただ私をこの世界に送り込むだけで、身体能力が上がるだとか、特殊な能力が身に付くだとか、そういうことはまったくなかったのだ。
考えてみれば、当然である。
人間を異世界に送り込めはしても、その身体を作り変えるとなれば別の技術が必要になる。
しかし、異世界に行くことを決めたとき、私は中学生。
厨二病、選民意識真っ盛りなお年頃である。
恥ずかしながら、私はこの世界で最強の少女になることを夢見ていた。
頭のどこかで、そういったオプションは当然付くものだと考えていた。
付かない可能性をあまり考えていなかったのである。
結果、私はこの世界にくることを選んでしまったことを、大いに後悔することとなった。
見知らぬ街、右も左も分からない場所で、私は突然ひとりで生きていかなくてはならなくなったのである。
元の世界ですら、今すぐ親元を離れて誰にも頼らず生きろと言われれば困ったに違いない。
それでも、この世界に来てすぐはまだ楽観的だった。
求人広告には、初期にかかる費用は会社が負担してくれると書いてあったし、給料も僅かながら支払われることになっていた。
だから、大丈夫だろう、と。
いつの間にか手に握り締められていた手紙に気付き、その内容を確認するまでは、心からそう思っていた。





*2

“まずは、その世界で銀行口座を作ってください”

その文章を読んだ瞬間、私はいきなり問題にぶち当たったことに気付かされた。
銀行口座って、どうやって作るの?
いや、銀行に行って尋ねれば、たぶん作り方は教えてくれるだろう。
問題は、どうやって自分の身分を証明するかだ。
この世界で身分を証明できるものを、私はなにひとつ持っていない。
愕然とした。おそらく、身分を証明できるものを持っていなければ口座は作れない。
口座がなければ、給料は入ってこない。
つまり、今後会社から給料が振り込まれる可能性はなく、現在自分は無一文。
お金なくして、どうやって生きていけば良いというのか。
一瞬、天空闘技場のことが頭を掠めたが、どうも自分が強くなっている様子はない。
その場で垂直跳びをしてみるものの、その高さは1メートルにも満たなかったし、意識を集中してみたところで人のオーラが見えることもなかった。
「どうしよう……」
私は途方にくれた。
その日の夜は、なんとか見付けた公園の遊具の中で縮こまり、闇に怯えながら朝日が昇るのを待った。
金属製の遊具は冷たく、心まで冷えていくようだった。





*3

翌朝、私は日の出と共に遊具から這い出た。
一晩中狭いところにいたせいで、身体が痛い。
……これから私、どうなるんだろう。
昨晩は眠ることもできず、暗闇の中でただひたすら思考をめぐらせていたが、あまり良い案は浮かばなかった。
とりあえず、仕事は早急見付けなければならないだろう。
できれば、住み込みで働かせてくれるところが良い。
だが、はたして、私くらいの年齢の子供を雇ってくれるような場所はあるだろうか。
一瞬、後ろ暗い職業が頭に浮かんで、あわてて首を振る。
大丈夫、なんとかなる。
きっと、なんとかなる。
言い聞かせても不安は消えず、時間が経てば経つほどその気持ちは募った。
そして再び日が沈み始めた頃、私は自分の不安が的中したことを知った。
できればこんな不安は、的中してほしくなかった。





*4

背に腹は変えられぬ。
やるなら、身なりがまだ綺麗な今のうちしかない。
私がそう覚悟を決めて繰り出したのは、夜の繁華街だった。
しかしながら一本道が逸れるだけでがらりと雰囲気が怪しく変わってしまうようなその場所は、今私が望むものを引き寄せてくれるだろう。
幸い私は女で、若さだけはある。
いささか若過ぎるあたりが妙なモノを引き寄せてしまいそうだが、この際贅沢は言っていられない。
私は普段は膝丈を守っている制服のスカートのウエストを折り、ずいぶんとキワドイ位置までその丈を捲り上げていた。
スカート丈だけ見れば、さながらイケイケギャル(死語)のようである。
これ、屈んだら後ろからパンツ丸見えだわ。
まあ、短パン履いてるけどな!
ははっ、と乾いた笑いが口から漏れた。
私、なにやってるんだろ……。
虚しくなって、脱力するように近くのベンチに腰を落とす。
もう、そんなにスカート短くしたいならいっそ履かなければいいんじゃない? とか言えない……。
どうやら多くの人が待ち合わせをしているらしい大きな噴水近くのベンチ。
私は足を組み、視線をぼんやりと彷徨わせながら時間を潰した。
獲物が引っ掛かったのは、思ったよりもずっと早かった。
「お嬢ちゃん、どうしたの?」
頭上から掛けられた声。
焦らすようにゆっくりと見上げれば、50代半ばくらいの、やや太めな、頭の薄い男が立っていた。
身にまとうスーツは高級そうで、スーツを着ているというよりは、スーツに着られていると表現する方が適切なように感じる。
私はじっと男を見つめてから、へにゃりと困ったような顔を作ってみせた。
「おうち、追い出されちゃって」
今晩泊るところがないんです。
スカートは短いくせに清純気取りながら言った台詞は、自分の中にやけに白々しく響いた。
だが、目の前の男はまるでその言葉を待っていたかのように笑みを浮かべる。
にこり、と表現するにはいささか毒を含み過ぎるが、にやり、と表現するほどには下品ではない笑みだった。
「それならば私が君に、今夜泊る場所を与えよう」
「でも……」
私は躊躇ってみせた。
このような場所にこのような格好でぼんやりとしていた時点で、こちらの意図など相手には伝わるだろう。
それでも私が躊躇ってみせたのは、自分の価値を上げ、相手の出せるラインを確かめるためだった。
「そのかわり、ちょっとお楽しみも提供してくれないかな?」
案の定そう提案してきた男に、私はすかさず尋ねかけた。
「……いくら、くれるの?」
ここで大事なのは、男が自分にいくら出してくれるかではない。
現金での所持金がいくらか、という点である。
「これくらいでどうかな?」
男は立てた指は3本。
ふむ。
「あたし、初めてだから相場はよく分からないんだけど、その倍はないと、明日からひとりで生活していけないとおもうの……」
「初めて?」
やけに食い付いた男に、私は内心笑う。
ほんと、男って“初めて”っていう言葉が好きなんだなぁ。
いつかそんなことを言っていた、恋多きの友人のことを思い出す。
再び会えるのかは、分からないけれど。
「……うん、今日1日仕事も探してみたんだけど、どこもあたしみたいなのは雇ってくれなくて、もうこれしか残ってないかなって」
頑張ってみたけど、ダメだった。
そうなったらもう、いよいよ身体を売るしかない。
そんなニュアンスを言外に含ませて、“初めて”という言葉に真実味を持たせた。
いや、真実だけどさ。
私、まだ中学生だし。
ただ、変に疑われて自分の価値が下がるのでは困る。
私は相手の持っているギリギリが知りたいのだから。
「そうかいそうかい、それは可哀想にねぇ。そういうことなら、もうちょっとお小遣いを弾んであげようね」
なんなら、君の生活を保証してあげてもいい。
もちろん、私の女になることが条件ではあるが。
言った男に私は確信した。
この男、相当お金を持っている。
「ほんとう?」
「ああ、もちろんだとも」
だめ押しで尋ねれば、男は鷹揚に頷いて、その肉付きの良い手を差し出した。
「さあ、お手をどうぞ、お嬢さん」
私は必死で笑みを作りました、というような表情を顔に張りつけて、その手に自分の手を重ねた。
さあて、夜はこれからだ。





*5

室内に響く、シャワーの音。
男がちゃんとシャワーを浴びているかどうかを音で確認しつつ、私は部屋に無防備に放置された男の鞄を漁っていた。
あ、財布見っけ。
取り出したそれはずっしりと重く、開いてみれば期待を裏切ることのない数の紙幣が見えた。
紙幣は十枚ごとにまとめられているようで、その束はざっと十束以上あった。
つまり、百万ジェニー以上?
相場は円とそんなに変わらないんだっけ?
曖昧な記憶を引っ張り出しつつ、私はそのうちのいくつかの束をまとめて失敬する。
だが、財布からそのお札を引き抜いたその瞬間に、一気に罪悪感がわいてきた。
いくらあの男がスケベオヤジであろうと、いま、悪いことをしているのは確実に私の方だ。
だけど、私はお金がなければ生きていけない。
もう、今さら引き返せない。
男の上機嫌な鼻歌が浴室から聞こえてくる。
私はぐっとお札を握り締めて、着ていた制服のブレザーの内ポケットに入れた。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
こんなこといけない、という気持ちと、お金がほしい、という気持ちが責めぎあって、息が詰まる。
私はテレビのスイッチを入れた。
ここはちゃんとしたビジネスホテルなので、噂に聞いたことがある肌色の映像がいきなり流れるなどということはない。
私は見知らぬニュースキャスターの移るテレビを背後に、そっと部屋から出て、音をたてないようにドアを閉めた。
ドアが閉まったのを確認して、一気に走りだす。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
けれど、どうしてもお金が必要だった。
手に入れるために身体を穢したくはなかった。
夜の街を走りながら、言い訳のような言葉をくり返す。
男は被害届を出すだろうか。
私は警察に捕まるのだろうか。
罪悪感と恐怖に押しつぶされそうになりながら、私はひたすら走る。
身体は穢れなかったけれど、心が穢れていくのを、私は確かに感じていた。

翌朝、私は朝一番の汽車で街を出た。





*6

身分が証明できなければ、部屋も借りられない。
部屋を借りることができなければ、働く場所も見つけられない。
私は、そんな恐ろしい状況に陥っていた。
住所がなくても働ける仕事は全くないというわけではなかったが、それは総じて後ろ暗い仕事。
今の私にできるような仕事ではない。
ああ、どうしてこんなことになってしまったんだろう、と毎晩考えた。
天気の良い日は野外で比較的安全な場所を探し、まるでかくれんぼをするかのように息を殺し、人に見付からぬように眠った。
場所はたいてい、水道のある公園か、ホームレスの多く集まる段ボール街だった。
雨の日はどうしようもないから、ネットカフェか漫画喫茶で一晩を明かす。
あそこはいい。
明かりがあるし、シャワーもある。
毎日雨だったなら、毎日ここで生活できるのだろうけれど、それでもお金に限りがあるから、やはりたまの雨の日に泊まるくらいがちょうどよかった。
それでも収入源がないから、にっちもさっちもいかなくなった時は、いつかの日のように、夜の街で下心見え見えの男を探し、ことに及ぶ前に財布からお金を抜き取って逃げた。
お金を持っていない、ハズレの男に当たることもしばしばであったが、何度か繰り返すうちに、どういうお金を持っているのかが分かるようになってきた。
しかし、その作戦自体が毎回上手く訳ではなく、何度か危険な目に遭った。
今のところ一番危なかったのは、一度騙した男に再び遭遇したときのことである。
基本的に男を騙す度に住む街を変えてはいるのだが、偶然が重なって再び出会ってしまった。
どんな街にいても、人間の行動パターンというのは大体変わらない。
その夜も私は獲物になる男を探していたし、男は買える女を探していた。
ただ、それだけのこと。
相手はもちろん私を覚えていたし、私自身こういった想定をしていなかったわけではなかったから、相手の顔を見た瞬間すぐに逃げた。
相手もかなりの所まで私を追い詰めたが、その時はなんとか逃げ切ることができた。
この世界に来てから、なるべくお金を使わないようにと歩いたり走ったりして行動していたので、体力が以前よりもついているようだった。
以来、私は意識的に体力をつけることを心掛け、ダメ元で毎晩寝る前に瞑想することにした。
念を取得できたらラッキーだと、そんな気持ちで。
はっと精孔が開いたのを感じとったのは、それから二年後のこと。
ハンターの世界に来てからは、3年の月日が流れていた。





*7

それからさらに半年かけて、四大行に取り組んだ。
もともとハンターの漫画が好きだったからこの世界を選んだわけであるし、方法はなんとなく分かっていた。
なんとか水見式を行える程度までのレベルに練ができるようにはなったが、いろいろな意味でてんでだめだった。
水の中、頼りなさそうに揺れる葉っぱを見たときは心の底からため息が出たものである。
それでも鍛えていくうちに、ある程度マシにはなった。
ある日再び水見式を行ったとき、以前はただ頼りなさげに揺れていただけの葉っぱが、以前よりも元気に揺れ、気が付くと私の手の中に瞬間移動していた。
その瞬間、はっとした。
これこそ、私の望んでいた能力ではないだろうかと。
それからはただがむしゃらに修行を行った。
ある物をある場所へと移動させる能力。
移動させる距離が長ければ長いほど、移動させる物が大きければ大きいほど、エネルギーを必要とするこの能力。
私の目標にいつたどり着くのか、そもそもそれは可能なのか。
不安だった。
けれど、挑戦してみる他なかった。
そのうちに、意識をもとの世界に集中させると、こちらの世界と物を行き来させられるようになった。
はじめは小さなボタンや一円玉程度がやっとだったが、修行するうちに、ハガキ一枚程度なら移動させられるようにり、そこで初めて、私は諸悪の根源であるあの会社と連絡をとるため、筆をとった。
この世界に来て、五年が過ぎようとしていた。





*8

返事は、私が書いた手紙の裏側に書いてもらった。
それは、自分が認識していないものを移動させることができないからである。
そして返ってきた返事の内容に、私は顔を顰めることとなった。


この度はお手紙ありがとうございます。
様がご存命でなによりです。
そちらの世界はいかがでしょう?
異世界ツアーを組むにあたり、どこかオススメの観光スポットなどありましたでしょうか?
大変恐縮ながら、当社ではまだ、異世界へ送り出した人間を連れ戻す研究が完成しておりません。
研究を続けて参りますので、今しばらくそちらの世界で現地調査を続けていただきたく存じます。
また、様がそちらで身に付けたというこの能力、大変興味深いです。
もしかしたら、我々が研究を完成させるよりも、様がこちらの世界に帰る能力を身に付ける方が先かもしれませんね。
無事帰郷された際は、是非とも我が社で働くことも検討しておいて下さい。
社員一同、様のが我々と共に働く日がくることを、心よりお待ちしております。
追伸
現在そちらに口座がなく、支払うことのできていない給与につきましては、様が帰還された際に全額お支払いいたしますので、ご安心下さい。

読み終えた瞬間、ぴきりと額に青筋が浮かぶ。
……なーにが“お待ちしております”だ!
ぜったいおまえらのいる会社になんか勤めるものか!
ふざけんな! 社員一同禿げろ!
私は手紙を破り捨てた。
そして、新しい手紙を書く。
あの会社の彼らへではなく、私と同じような目に遭ってしまうかもしれない誰かへ。
私と同じ過ちを犯してしまわないように。

父と母のことを手紙に書きかけたところで、私はペンを止める。
やっぱり、あのひとたちについて書くのはやめておこう。
あのひとたちは、私を忘れてしまった方が幸せなのかもしれない。

私は念を発動させた。





*9

今日も今日とて、私は夜の街に繰り出す。
この頃には、自分の行為に対する罪悪感は、だいぶ薄くなってきていた。
体力もだいぶ付いていたし逃げ足も速くなっていた。
だから、うっかり気を抜いてしまったのかもしれない。
背後から見ただけで金のにおいを漂わせるその男。
私は自ら声をかけた。
「ね、お兄さん、今夜……」
言い掛けて、はっと口を噤む。
男がこちらに振り向いたからだ。
その顔を確認した瞬間、サッと自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。
「どうしたのかな? お嬢さん」
にこりと微笑む美しい顔。
その顔には、見覚えがあった。
「っ、ご、ごめんなさい! 人違いでした!」
慌て背を向けて走りだす。
やばい、やばいやばいやばい!!
つ、付いてきたりしてないよね!? ね!?
ちらりと背後を振り返るが、男の姿はない。
ほっと息を吐いたのもつかの間。
「ねぇ、どうしたの?」
「っ!?」
正面から聞こえたその声に、私は慌てて足にブレーキを掛けた。
勢いを殺しきれずに、前のめりになって転びそうになる。
そんな私を、正面にいた男が支えた。
「大丈夫? 随分慌ててるみたいだけど」
「だ……だいじょーぶ……です」
頭の悪そうな発音で、口が言葉を紡ぐ。
うあああああ……やばいやばい、やばいって!!
「そう? どこも怪我してない?」
「は、はい……」
おかげさまで、ありがとうございます。
そう言ってそそくさと逃げ去ろうとする私の気配を察したかのように、男は私の腰に手を回した。
「それじゃあ、行こうか?」
ぎゃんっ!
「へっ? い、行こうって、どこに? ……ですか?」
もしかしてあの世? あの世なの?
てめー殺してやるってことなの?
内心ブルブルと震えていた私に、男は別の意味で恐ろしいことのたまった。
「どこって……今夜の寝床が欲しいんじゃないの?」
ぴしり、と身体が固まった。
赤くなればいいのか、青くなればいいのか分からない。
「! ごごごごめんなさいいりません」
私は必死に首を振って否定した。
私の顔は今、真っ白なんじゃないかと思う。
「それって野外でシたいってこと?」
「滅相もない!!」
なんてことを言うんだ、この男は!
どうしてそうなる!?
混乱しすぎて、言語として破綻してるとかこの際気にしていられない。
ごめんなさいもう本当に勘弁して下さい。
「じゃ、部屋でいいよね」
よくない!
男は私の腰に手を回したまま、有無を言わさぬ動作で道を歩き出した。





*10

結果だけ言えば、私の見極めは間違いなく、彼は金持ちであった。
連れてこられたのは、夜景がとても美しいホテルのスイートルーム。
こんなところにきたのは生まれて初めてである。
こんなシチュエーションじゃなければもっと楽しめたのに。
もしかしたら、人生最初で最後のスイートルーム体験になるかもしれない。
私は、男が金持ちであるかどうかよりもっと重要な点を見極められなかった。
「さて、ここでオレとヤっちゃうか、なんでオレから逃げ出したのか話すか、選ばせてあげる」
テーブルに肘をつき、組んだ手に顎を乗せ、男は切り出す。
笑顔で選択を迫られて、私は心の底から恐怖した。
怖っ! このひと笑顔で怖いよっ!
「あー……えっと、そのう……」
あなたが幻影旅団の団長サマだからです、とか言えるわけがない。
サラッサラの黒髪にぱっちりとした黒い瞳。
どこか幼さを漂わせるその甘いマスクは、どれほどの女性を虜にしてきたのだろう。
彼の頭に、額を隠すように巻かれた包帯さえなければ、私はもっと平静でいられたのに。
彼は間違いなく、幻影旅団の団長、クロロ・ルシルフルであった。
五年前の私、ほんとなんでハンターの世界に行きたいなんて考えたんだろう。
何度も思ったことではあるが、今しみじみとそう思った。
馬鹿すぎて救いようがない。
視線を彷徨わせて、彼の背後にある部屋のドアをさり気なくチェックする。
この部屋から出るには、彼の横を通り過ぎなければならない。
ただ、私と彼の位置が逆だったとしても、彼から逃げられるとは毛先1ミリ程度も思えなかった。
自分の体を瞬間移動させる方法も考えたが、念を発動させる前にひっ捕らえられて八つ裂きにされそうである。
ああ恐ろしい。
とりあえずなにか言わなくちゃ、と私は口を開いた。

「実は私、B専なんですっ!」

咄嗟に浮かんだいい訳は、とてもくだらなかった。
B専。ブサイク専門。
イケメンがだめなのっ! と叫んだ瞬間、目の前の男が爆笑する。
「あっははははははははははは! なに? ふぅん? B専?」
よっぽどおかしかったのか男の目には涙さえ浮かんでおり、クククッと喉を鳴らす。
「分かった分かった。いいよ、そんなに話したくないなら話さなくても」
ひらひらと手を振りながらクロロが言う。
あれ、案外いい人?
好青年モードだから?
安心したのもつかの間、笑っていた男の瞳は、次の瞬間妖しく煌めいた。
「だけど今夜は、顔のいい男の良さを教えてあげる」
「!!」
気が付くと身体は宙に浮き、はっとした瞬間にベッドに投げ出されていた。





*11

あれからさらに、幾年かの月日が流れた。
どういうわけか、気がつけばクロロは私の師匠のようなポジションになっていた。
私の念能力は、クロロのおかげで格段に性能が上がったと思う。
今なら。
今なら、きっと人間ひとり、元の世界に送ることができる。
どうしても、帰りたかった。
何年経っていようと、私の故郷はあそこだけだった。
クロロには、本当に感謝している。
愛情も、抱いていないわけではない。
けれど。
けれど、どうしても、元の世界を忘れられないのだ。

!」

私が念を発動したことに気付いたのだろう、クロロが慌てて部屋に押し入ってくる。
だが、もう遅い。
私の念は彼が気付いた瞬間には完成しているのだ。
彼の伸ばした手が私に触れようとする、その前に。

!」

わたしは世界から消えた。





*12

元の世界に戻ってきてから、何度目かの春を迎えた。
今やは一人前の社会人で、会社でそれなりの地位にいる。
さんは、どうしてこの会社に入社しようと思ったんですか?」
にそう尋ねたのは、この春会社に入ったばかりの新人だった。
「……きみは、ハンターハンターって知ってる?」
「あ、はい。俺、あのマンガ好きですよ」
の質問に、新人が答える。
そう、とは相槌を打った。
「私ね、昔あの世界にいたことがあるの」
「そうなんですか? あれ、でもたしか、ハンターの世界は行くのを禁止されているはずじゃ……」
首を傾げる新人。
「ええ、現地調査を行った結果、あそこは旅行するには危険な場所だと判断された……ハンターの世界に行くことを禁止にしたのはね、私なの」
「えっ」
驚いている後輩をよそに、は言葉を続ける。
「私があの世界に行ったのは中学生の時。当時はまだ、異世界に行く方法は見つかっていても、異世界から帰ってくる方法は見つかっていなかった」
今も、あの世界で過ごした日々のことは忘れられない。
特に最初の五年は、本当に悪夢のようだった。
「それじゃあ、さんのその能力ってもしかして……」
後輩の言葉に、は頷いた。
「キミの想像通り、ハンターの世界で身に付けたものよ」
色々な世界に、色々なものを行き来させられるこの能力。
正確にいえば、移動させる場所は異世界に限らないのだけれど。
そして作り出されたのが、いまこの会社にある、異世界を旅行するための装置。
この会社がもともと持っていた異世界に行く技術と、の能力。
そのふたつが合わされてようやく、行き来可能な異世界旅行が実現されたのだ。
が若くしてこの会社で高い地位を手に入れることができたのは、この能力があったからである。
そしてその地位を利用し、は異世界旅行者がハンターの世界に行くことを禁じた。
あの世界は、危険すぎる。
「ハンターの世界から帰ってきたときは、すっかり年月が過ぎていて、私は22歳になっていたの」
中学さえもまともに卒業しないまま、大人になってしまった
高校も大学も、本気で入ろうと思えば、やりなおせないこともなかっただろう。
高校卒業認定試験にさえ受かれば、大学を受験することは可能である。
けれど、あの世界から帰ってきたには、そんな気力などなかった。
あの人のいない世界で、自分はいったい何をやり直せというのだろう。
それでも、学校に行かないなら行かないで、は働く必要があった。
今まで散々親に心配を掛けたのだ、無職で家に引きこもって、さらなる心配を掛けるわけにはいかない。
だが、中学さえまともに出ていない
雇ってくれるまともな会社など、そうそう存在するはずがない。
そんなときに思いだしたのが、この会社のことだった。
の人生を滅茶苦茶にした、諸悪の根源。
いつだったか書いた手紙に返事をもらった時は、絶対に入社するものかと思ったけれど。
……けれど。
最終的にを受け入れてくれたのは、この会社だけだった。
会社のトップは、に頭まで下げた。
どうか、我が社に来てくれと。
会社がの能力を目当てにしていることを、は知っていた。
しかしこの能力があれば、はこの会社でかなり上の地位までいける。
それも、分かっていた。
だからは、この会社に入ることを決めたのだ。
「……私の昔話はこんなものよ、新人君」
そう言って、は苦笑する。
入社して一年も過ぎれば、社員のだれもが知るようなそんな話だ。
さん……」
「さあ、これは仕事よ。頭を切り替えて」
しんみりしてしまった新人に、これで話は打ち切りだと背中を叩く。
新人の青年ははっとしたように居住まいを正した。
「一度往復したら、二度と同じ世界にはいけないんだから、しっかり調査してくるのよ?」
それが、あの世界の彼が、の能力を上げるために考えてくれた制約。
世界を跨いで物を行き来させるとき、それはその区間を一往復しかできない。
「……はい!」
新人は頷いた。
も頷き返す。
「それじゃあ、いってらっしゃい」
次の瞬間、もうそこに後輩の姿はなかった。






20110401