*21

ハンター協会を離れれば自由の身!
……そう思っていた時期がわたしにもありました。
平和な暮らしの終わりを告げる電話がかかってきたのは、ハンター証があれば宿泊費が無料になるという高級ホテルでわたしが悠々自適のニート生活を送っていたときのこと。
まだ暑さの残る、8月末の夜のことだった。

――プルルルルルッ

夜10時。部屋に備え付けられた電話の音が突然鳴り響き、わたしはびくっと肩を揺らした。
フロントからの電話だろうか。こんな時間になんの用だろう?
おそるおそる受話器を取れば、電話の向こうからは聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「もしもし、か? お前さんケータイくらい持ったらどうなんじゃ」
それはネテロ会長の声だった。
ほんの一瞬だけ固まって、それからわたしは受話器に向かって叫んだ。
「宿泊中のホテルに電話とかなんなんですか!? わたし教えてませんよね!? ストーカー!?」
「ちょっと頼みたいことがあるんじゃが」
「え? 無視? ……絶対イヤです! どうせまた危険な仕事でしょ!」
わたしが批難したのをさらりとスルーし自分の要求を突き付けてくるあたり相変わらずである。
まあ、人間1カ月程度でそう正確なんて変わらないだろうけど。
……そう、わたしがハンター協会を離れてからまだ1カ月しか経っていないのだ。
だというのにこの状況。あんまりだ……。
「なぁに、来週からヨークシンで開催されるオークションでちとばかり競り落としてきてほしい商品があるだけじゃよ」
「そんなの他のハンターに頼んでくださいよ!」
ネテロ会長がわたしに頼んでくる仕事なんて碌なものであるはずがない。断固拒否である。
「妙な噂があるから万全を期した方が良いと思ってのう」
「とりあえずわたしに頼めばいいと思ってるところがもうイヤだ!」
わたしは受話器を持っていない方の手でわっと自分の顔を覆った。
「それじゃあ、明日の朝には迎えの者が着くことになってるからの。詳しくはそやつに聞いてくれ。頼んだぞ」
「はぁ!? わたしやりませんからね! ちょっと! ちゃんと聞いてます!? わたし絶対イヤですから……って、うわ、もう切れてる」
言いたいことだけを言いさっさと電話を切りやがったクソジ……ネテロ会長。
わたしはげっそりとして受話器を置いた。
このままここにいたら明日の朝本当に迎えが来てしまう。
「……よし逃げよう」





*22

思い立ってすぐにわたしは行動した。
おそらくネテロ会長はわたしが逃亡する可能性を最初から計算しているだろう。
とすれば、迎えのハンターはもう既に近くまで来ているはずだ。
もしかしたらわたしの顔写真までもらっちゃったりしているかもしれない。
となれば、わたしがまずすべきことは見た目を変えることである。
こんな時間まで営業している美容院といえば必然的に夜の蝶々が飛び回っているような界隈まで行かなければならなくなってしまうが背に腹は代えられない。
大丈夫、わたしには運という味方がついている。
自分がハンターであることをいいことに「危険なヤツに追われているんです」と少々話を盛り、わたしはチェックアウトを済ませてホテルの裏口から出してもらった。
幸運が無事発動しているのか美容院に辿り着くまでネテロ会長の遣いらしきハンターに出くわすことはなく、わたしはほっと息を吐く。
メイクアップアーティストだというお姉さんに「別人にしてください!」と告げると、本当に別人にされた。
ファンデーションを二色使いすることによってシャープなった輪郭に、アイラインとつけまつ毛で大きくなった瞳。チークによって頬は薔薇色に染まり、唇はグロスを塗られてつやつやと桜色に輝いている。
化粧ってすごい。まるで最新のプリクラで撮影したみたいな姿だ!
仕上げに栗色の緩く波打つロングヘアーのカツラを被れば、もうそこに元のの姿はなかった。
よし、これならきっとわたしだって気付かれない!
感動しながらメイクアップアーティストのお姉さんにお礼言えば、微笑みながら「デート頑張ってね」と返される。
いや、デートじゃないんだけど。追っ手から逃げてるところなんだけど。
説明が面倒なので否定はせず、お金を支払って店を後にした。





*23

選んだ道が悪かったのか、表通りに出て早々変なのに絡まれた。
「お嬢ちゃん一人? 俺らと一緒に遊ばない?」
「すみません、急いでいるので……」
行く手を阻むガラの悪いゴロツキ3人。
彼らの横をすり抜けて先を急ごうとするが、呆気無くゴロツキのひとりに手首を掴まれる。
おい、わたしの幸運パワーどこ行った!?
「そう固いこと言わないでさぁ。ね? きっと楽しいよ?」
ね? じゃねーよ! あんたら怖いんだよ!
わたしは一応裏試験もパスした正式なプロハンターだが戦闘能力は皆無である。
手首を掴む手を振りほどこうとするが、ますます力を込められそれは叶わなかった。
やだ、ほんとにどうしよう。
きょろきょろと辺りを見渡すけれど、道行く人はみんな見て見ぬふりを決め込んでいて助けてくれそうにない。
誰かか弱い少女を助けようという勇気のある者はいないのか!
「じゃ、行こうか」
「やだっ、離してっ……!」
手首を掴まれたまま引きずられるようにして道を歩き出した、そのとき。

「おいおい。その子嫌がってるんじゃないのか? 離してやれよ」

突然後ろから聞こえた若い男の声に、わたしもゴロツキたちも一斉に振り向いた。
「ああん? んだよニーチャン」
一番下っ端っぽいゴロツキが、ポケットに両手を入れてオラオラオラといった様子で青年に近付いていく。
「嫌がっているようだから離してやれと言ってるんだが?」
凄んでみせたゴロツキに怯んだ様子もなく飄々と言う青年。
歳は20代半ばといったところだろうか。身長は高いがひょろっとしていて、ゴロツキの男が一発殴れば吹っ飛んでしまいそうである。長いくすんだ金色の長髪が印象的だった。
「別に嫌がってないよなぁ? 嬢ちゃん」
そう尋ねかけてきたのはわたしの手首を掴む男。
「いえ、嫌なので離してください」
ピキリ、とゴロツキの額に青筋が浮かんだ。
あ、しまった。つい本音が……。
「ほら、嫌がってるじゃないか」
長髪の青年が追い打ちをかける。
「んだと……! 優しい顔をしてれば付け上がりやが、っ……!?」
わたしの手首を掴むゴロツキは、わたしを掴んでいるのとは反対の方の手を振り上げた。
しかし、ゴロツキが言いきるより先、拳が振り下ろされるより先に、ゴロツキは何かを踏み、滑って転んだ。
ずてんっ、と間抜けな音が響く。
「…………」
沈黙が落ちた。
(あ、バナナの皮だ……)
どうやらゴロツキはバナナの皮を踏んで転んだらしい。
どうしてこんなところにバナナの皮が落ちているのかを気にしてはいけない。
バナナはよくわたしを窮地から救ってくれるラッキーアイテムのひとつである。
転んだ拍子に手首を掴む男の手は離れ、わたしは巻き添えを免れた。
誰もがなにも言えないでいる中、沈黙を破ったのは長髪の青年の笑いだった。
「プッ……くくく……」
ひぇぇ、普通このタイミングで笑う!?
口元に手を添え、肩を震わせて笑う青年。
案の定、地面に伏した男は怒りにぶるぶると身体をわななかせた。
「んにゃろう……!」
地面からがばりと起き上がり、ゴロツキは青年に殴り掛かる。
危ないっ……!
思わずぎゅっと目を瞑ったが、聞こえてきたのは人を殴るような音ではなく、先程と同じ、人が転んだような音だった。
えっ、と目を開けると、そこには再び地面に伏すゴロツキの姿。
どうやら青年に攻撃を避けられて再び転んだらしい。
「くっそ……涼しい顔しやがって! おい! 見てないでお前らも手伝え!」
転んだゴロツキは立ち上がりながらもう2人に命令する。
なるほど、この男がゴロツキたちのリーダーのようだ。
3人がかりとはなんて卑怯な。
しかし、もしかしてこれはわたしが逃げるために与えられた幸運なんだろうか?
いや、でも助けに入ってくれた人を犠牲にして逃げるというのは人として如何なものだろう。
悩んだのは本当に一瞬だった。
というのも、一瞬にして長髪の青年がゴロツキたちをやっつけてしまったからだ。
「……え?」
気が付くと、3人のゴロツキ達は全員気を失って地面に倒れていた。
あれ? いつの間に勝負がついたの?
ぱちぱちと目を瞬き、こてんと首を傾げる。
「おーい。……大丈夫か? 怪我は?」
ひらひらと目の前で手のひらを振る長髪の青年。
わたしはぽかんとした表情のまま首を横に振る。
ほっとしたように青年は溜息を吐いた。





*24

「こんな時間に女の子がひとりで危ないだろ!」
「すみません……」
まったく……と呆れ顔の青年にわたしは素直に謝罪した。
わたしの幸運パワーに引き寄せられてしまったんだろう。申し訳ない。
元を辿れば全てネテロ会長のせいだが青年には関係ない話だ。
「仕方ないな。ほら、家まで送っていってやるから」
「あ、お構いなく」
青年は一度関わったことには責任を持つタイプらしい。
しかし親切な人にそこまで迷惑をかけるわけにはいかないのでわたしは首を横に振った。
それに、宿泊していたホテルはついさっきチェックアウトしてしまったばかりなのだ。
「“お構いなく”じゃないっ! 危ないって言ってるだろ! ……心配するな。こう見えてオレはプロハンターだぞ」
「えっ、そうなんですか……プロハンター……」
思わず微妙な顔で呟いてしまう。ハンターという響きには碌な思い出がない。
というか、まさかネテロ会長が迎えに寄越したプロハンターってこの人じゃないよね?
いや、プロハンターなんてそうそういないし、あり得るかも……。
「おい、なんでそこで嫌そうな顔をする」
「いえ、なんでもないです。ごめんなさい」
まさか「あなたがネテロ会長が迎えに寄越すと言っていたプロハンターですか?」なんて聞けるはずがない。
もし本当にそうだったら、ホテルをチェックアウトしたことも変装していることも全部無駄になってしまう。
「なんでもなさそうな顔じゃないが」
「いや、ほんとお気になさらず」
訝しげにこちらを見る青年に、わたしは視線を泳がせながら後退りした。
「待て。何故逃げようとする」
「いやぁ。あはは……」
逃げ切れるか? 相手は数人のゴロツキを一瞬で伸してしまうようなプロハンターだ。正直きつい。
いや、でもわたしには運が味方に付いてるはずだし……。
「さては後ろめたいことでもあるな」
「ええっ!?」
そういう発想になちゃうの!? ……まあ後ろめたいことに違いないといえば違いないが。
「なんだ、違うのか? ……ははーん。さてはおまえ、家出少女だろう?」
「違います」
わたしはキッパリと答える。誰が家出少女だ。
「違うなら大人しく家まで送られなさい」
真面目な顔で言う青年に、わたしは曖昧な笑顔を浮かべた。
「……いやぁ、わたし、帰る家が無くてですね」
「は?」
「うーん……なんていうか、壮大な迷子? いや、違うな。うっかり海外に来ちゃったけど祖国が鎖国してるみたいな」
呆気にとられる青年にわたしは言い訳のように捲し立てる。
「言っている意味がよく分からないんだが……。とりあえず、迷子なら家を探してやるし、オレはプロハンターだから鎖国している国でも交渉してやるぞ?」
訳が分からない、というように首を傾げながらも、青年はなんとか力を貸そうとしてくれる。本当に親切な人だ。
でも、たぶん、この人はわたしを“わたしの家”に送り届けることはできないだろう。
「うーん、わたしだって帰れるものなら帰りた……」
帰れるものなら帰りたいんですよー。
穏やかに紡ぐはずだったその言葉は、最後まで声にならなかった。
ぽろり、と、目から涙が零れ落ちる。
あ、れ……?
言っている途中で、なんだか急に悲しくなってきたぞ。
そうだ、わたしは家に帰りたかったのだ。
こんなところでニートやプロハンターになっている場合ではない。
「えっ!? お、おい、泣くなよ……」
突然泣き出したわたしにオロオロと慌てる青年。
ごめんね、お兄さんが悪いんじゃないんだけど。
ああ、この世界にわたしの帰る家って無いんだ。
そう思ったら、急に心細くなってしまって。
お父さんとお母さん、心配してるだろうな。部活の仲間も、今頃どうしてるだろう。
他人の優しさに触れて、唐突にわたしは一人ぼっちなのだと気付いてしまった。





*25

「落ち着いたか?」
「……ずびまぜん」
持っていたポケットテッシュは使い切ってしまったので、青年から借りたハンカチでずずずっと鼻をかむ。
女子力が低くてごめんなさい。
「洗って返しますね」と鼻声で言ったら「いや、返さなくていい」と言われてしまった。重ね重ねごめんなさい。
目の前に置かれた冷たい飲み物ををわたしはちびちびと口に含む。
鼻が詰まってて甘いという事くらいしか分からないが、赤のようなオレンジのような綺麗な色の飲み物だ。
わたしは今、先程わたしをゴロツキから助けてくれた青年に連れられて街中の居酒屋に来ていた。
ほどほどに綺麗で半個室があり、周りは賑やかなので近くにいる人の声くらいしか聞き取れない。人生相談にはもってこいの店である。
わたしがグラスを置くと、青年は切り出した。
「オレはカイト。おまえは?」
「…………ハナコ」
少し迷って偽名を名乗った。
いくら親切な青年といえどネテロ会長の手先かもしれない相手に本名は名乗れない。
あ、しまった、ネテロ会長に迎えにくるハンターの名前聞いておくんだった!
「ハナコ、これも縁だ。困っていることがあるならオレに話してみないか? 力になるぞ?」
「……いえ、あの、ちょっと心細くなっちゃっただけなんです。大丈夫です……」
悩みを相談するという事は、わたしの身の上を全て話すという事だ。相談できるはずがない。
それに、今の所、生きていくのに支障はないのだ。
ハンター証という身分証明書だってあるし、お金だって普通の生活をしていれば一生では使いきれないくらいある。
少し早い親離れだと思えば、そう悲観すべきことではないかもしれない。
「いや、しかし家に帰りたいと泣くなんて尋常じゃないと思うが」
「ほんと大丈夫ですから……。ご迷惑おかけしてすみませんでした」
泣いてしまったのは、張りつめていた糸が切れてしまったからだ。
転んで怪我をしたとき、一人で居れば立ち上がれるのに、周りに「大丈夫?」と心配されるとなぜか涙が出てきてしまうあの現象である。
「迷惑なんてことはないが……はぁ、まぁ無理強いはしないさ。今は好きなだけ飲んで食え。人間、腹が減ってるとネガティブになるもんさ」
「はい」
助けてくれたお礼にここの食事代くらいは持ってもいいかもしれない。
そんなことを考えながら目の前のから揚げを摘み、赤のようなオレンジのような綺麗な色の飲み物を煽る。
くぅー、美味しい。だんだん味が分かるようになってきた。飲み物はオレンジに何かを混ぜたような味だ。
あー、なんかフワフワして気分がよくなってきた。やっぱりご飯って大事なんだなぁ。





*26

気が付くと、見知らぬ部屋のベッドで寝ていた。
「!?!?」
がばっと勢いよく飛び起きて、きょろきょろと辺りを見渡す。
自分が寝ているベッドの隣には木製のチェストを挟んでやや大きめのベッドがもう一つ。
部屋には他に、小さな丸テーブルと落ち着いたグリーンの一人掛けソファが二つ、それとは別にちょっとした事務作業が出来そうなデスクが置かれていた。
(あれ、ここ、ホテル?)
しかも、よくよく調度品を見てみると、そこはネテロ会長から連絡を受けて急いでチェックアウトしたホテルであることが分かる。
「おー、起きたか。気分はどうだ?」
「…………カイトさん?」
声のした方を向くと、街でゴロツキから助けてくれた男が、長い髪をタオルで拭きながらこちらに歩いてきていた。
どうやらシャワーを浴びてきたらしい。
「…………」
わたしは思わず自分の着衣を確認した。
「……疾しいことはしてないぞ」
「あ、そうですか」
上着は脱がされているようだが服は着ているし、特に身体に違和感も無いのでたぶん信じていいだろう。
しかし、何故わたしは元々宿泊していたホテルのツインルームにカイトさんといるのか……。
助けてもらった後、一緒にご飯を食べていたのは覚えているのだが、途中から記憶が無い。
考え込んでいると、わたしのすぐ傍までやってきたカイトさんがわたしの頭のてっぺんを見下ろしながら口を開いた。
「カツラならサイドテーブルに置いておいたぞ」
「ありがとうござ……、!?」
ああ、そういえば元の姿を隠すためにカツラ被ってたんだっけ。
お礼を言い掛けて、それからわたしははっと顔を上げた。
(そうだ! わたし変装してたんじゃん!)
目の前にはにっこりと笑った、しかしすぐに作り笑顔だと分かる顔のカイトさんがあった。
さーっと顔から血の気が引いていく。
「なぁ、昨夜の記憶も曖昧だろうし、改めて自己紹介しようか。オレはカイト。おまえは?」
「…………は、ハナコ」
にこにこと笑みを崩さないまま尋ねかけてくるカイトさんに、わたしはぎこちなく答える。
苦しいという事は自分でも分かっていた。
「そうか。ハナコ、この写真に写ってる人物に見覚えはないか?」
カイトさんがこちらに見せてきたのは、いつの間に撮られていたのだろうか、ハンター試験に合格した直後の頃だと思われるわたしの写真。
隠し撮りされたのだろう、わたしの視線はこちら側には向いていなかった。
「……あー、ちょっと記憶にないですねー」
写真から視線をそらしながら答える。
カツラはなくてもまだ化粧は残ってるはずだし、なんとかシラを切り通したい。
「ほう? オレにはこの写真の人物がおまえに見えるんだが? ハナコ」
「えー、ハナコ分かんなーい」
小首を傾げて、わたしはテヘッと誤魔化した。
「そういえば、化粧したまま寝るのは肌によくないと聞いたことがあったから、ハナコの化粧はちゃんとオレが落としておいてやったぞ」
「!」
首を左側に傾けたまま、わたしはぎくりと固まる。
(終わった……!)
思わず両目を瞑った。
まさか化粧まで落とされていたとは。

本名を呼ばれて、ぎくりと肩が揺れる。
「この写真の人物の名前だ。……悪足掻きは止めておけ、会長から話は聞いてる」
呆れたようなカイトさんの声に、わたしはベッドの上でがっくりと項垂れた。





*27

「まあそう落ち込むなって」
二つあるソファのうちの一つに座りどんよりとしているわたしに、木製の丸テーブルを挟んで向かい側に座ったカイトさんが言う。
あれからわたしもシャワーを浴び、酒臭い服からクリーニング済みのシャツに着替えていた。
そう、酒! わたしが居酒屋で飲んだ赤のようなオレンジのような綺麗な色の飲み物はなんとお酒だったのである。
甘くて美味しいからすっかり騙された。
どうやらわたしはお酒を飲んで酔っ払って眠ってしまったらしい。
しかも、眠りに落ちる前カイトさんがわたしのことを「ハナコ」呼んだら「ハナコじゃない〜、〜!」と自分の名前を暴露していたようだ。
それを先に言ってよ! 自分で名乗ったくせにシラを切るとか痛すぎる。
「カイトさんにわたしの気持ちなんて分かるはずがありません! ネテロ会長ったらひどい。わたしのようなか弱い女の子にこんな仕事任せるなんて」
両手で顔を覆い、恥ずかしさやら悲しさやらでしくしくと泣き真似をすると、カイトさんから胡乱げな視線をもらった。
「……自分で言うか? おまえだってプロハンターなんだからか弱いってことはないだろ」
部屋に備え付けられていたインスタントのコーヒーを飲みながらカイトさんが言う。
フッ……甘い。お砂糖を食事用のスプーンで山盛り十杯入れてゾル状になったココアよりも甘い。
わたしは半眼でカイトさんの方を見た。
「……。初めに言っておきますが、わたし、戦闘能力はゼロですよ」
「は?」
カイトさんは、よく分からない、というような顔をした。
「ちなみに防御力もほぼゼロです」
「え?」
カイトさんが眉を寄せる。
「だからカイトさんがしっかり守ってくださいね」
意識して可愛らしく、語尾にハートが付かんばかりの勢いでわたしはにっこりと笑ってみせた。
キャラではなかったが、ヤケクソだった。
「おいおい、ちょっと待て。それ本気で言ってるのか?」
そこでようやくわたしの言っていることが本当かもしれないと思ったらしいカイトさんが慌てだす。
「嘘を吐く理由がありませんが」
「この仕事受けるの嫌がってただろ」
「だからそれは攻撃力も防御力も無いからなんですって」
わたしは真顔になって返した。
「……攻撃力も防御力もゼロなのにハンターってどういうことなんだ?」
「ネテロ会長からなにも聞いてないんですか?」
訳が分からないという様子のカイトさんにわたしも首を傾げる。
「いや、オレも突然連絡もらってよろしくって頼まれただけだから……」
しかも、メインの仕事を行うのはわたしの方で、カイトさんは“ちょっとした”サポートをするように言われたらしい。
ネテロ会長がいちハンターに依頼する“ちょっとした”サポートが本当に“ちょっとしている”はずがないが、今はその話は置いておこう。
とにかく、そんな依頼だったから、カイトさんは当然のようにわたしのことを強いハンターだと思い込んでたのだとか。
「……強かったらゴロツキくらい一人でなんとかしてますよ」
「……そういえばそうだな」
出会いを思い出したらしいカイトさんはどこか気まずそうな表情を浮かべた。
今なら、プロハンターだと名乗ったカイトさんからわたしが逃げようとした理由も理解してもらえることだろう。
「……ひとまず、情報交換といこうか」
溜息を吐きながら言ったカイトさんに、わたしは諦めて、同じように溜息を吐くことで返事をした。





*28

「はぁ、なるほど、幸運ねぇ」
本当に理解してくれているのだろうか?
ルームサービスを頼み、朝食を食べながらこれまでの事情を説明すると、カイトさんはどこか気が抜けたような、半信半疑といった様子で相槌を打った。
いや、一番信じられないのはわたしなんだけどさ。
「てことは、オマエ特殊系?」
「…………」
続くカイトさんの質問にわたしは黙り込む。
「おっ、気軽に自分の系統教えちゃなんないのは分かってるんだな。エライエライ。でも、その能力は特殊系以外の何物でもないだろ」
「あー……いや、うーん……」
得意気にたたみ掛けるカイトさんに何と返したものかとわたしは唸った。
実を言うと、自分の能力がどういったものなのか、わたし自身よく分かっていなかった。
ネテロ会長から特例として正式なハンターとしての証はもらっているものの、正直なところわたしの場合四大行すら怪しい。
あのジジイ、どう考えてもわたしをこき使うためにハンターと認めたよね……。
「なんだ、煮え切らないな」
カイトさんの表情は、なにをそんなに躊躇ってるんだ、と尋ねる雰囲気である。
「いやぁ、自分でもよく分からなくて」
答えて、スモークサーモンとクリームチーズのホットサンドに噛り付く。
うーん、クリームチーズの酸味と玉ネギの辛さがスモークサーモンと絶妙なハーモニーを醸し出していておいしい。
パンもさっくりもっちりである。
「そういうカイトさんこそ、何系でどんな能力なんですか?」
「ん? オレか?」
2口、3口とホットサンドを齧ってから、わたしはカイトさんについて尋ねることにしてみた。
すると、まるで自分が聞かれるとは思っていなかったというように、カイトさんは一瞬きょとんとした表情になった。
「オレは……、そうだなー……今は秘密にしておくか」
「ええー? 自分は散々人の能力を聞いておいて?」
わたしはお洒落な葉っぱで作られたサラダに入っていた生ハムを口の中に放り込んだ。
うむ、絶妙な塩加減である。脂も程よく乗っていてこれまたおいしい。
「おまえの能力みたいに万能じゃないからな。ま、一緒にいる間に使う機会があれば分かるさ」
「ふぅん……まぁ聞いてもたぶんよく分からないので別にいいですけどぉ……。あ、海老とアボカドのサンドイッチもおいしい」
「いいのかよ……。というか、いくら経費で落ちるからって朝食食べすぎじゃないか?」
「もう食べでもしないとやってらんないです。やけ食いですよ、やけ食い」
言いながら、デザートのメロンをもぐもぐ。
腹が減っては戦はできぬとも言うしね!
これはネテロ会長へのちょっとした反抗でもある。
わたしがちょっとくらいやけ食いしたところでネテロ会長の懐は痛まないと思うけど。
「あー……まあ、なんだ、その……ほどほどにな」
「はーい」
聞き分けよく返事をして、わたしは100パーセント生オレンジジュースを喉に流し込んだ。
あーあ、物騒だからカイトさんの能力見る機会なんて無いといいなぁ……。





*29

あれから数刻、わたしとカイトさんはお目当てのものが出品されるオークション会場までの道程を並んで歩いていた。
「ねぇ、本当に行くんですかぁ……?」
横にいるカイトさんの高い位置にある顔を見上げてわたしは尋ねる。
行きたくないという気持ちが強すぎて、わたしの足取りは自然とダラダラと重たいものになっていた。
「しょうがないだろ、会長直々の依頼なんだから。腹決めろ」
「はぁ……わたしの幸運ってなんとなく不安定な気がするんですよねぇ。本当は逃げるつもりだったのに結局こうして仕事するはめになってるし」
カイトさんは取りつく島もない。
前に向き直り、肩を落としてわたしはとぼとぼと歩く。
「でも大きな怪我とかはしたことないんだろ?」
「それは……まあ。確かにないですけど……」
そういえば、この世界に来てから、大きな怪我どころかかすり傷すら負った記憶が無い。
いや、でもやっぱりわたしの幸運ってなんか微妙なんだよね。
精神的ダメージを受けることはしょっちゅうあるし。
先のことを考えるとなんだか胃が痛いし気持ち悪くなってき……うん? なんか本当に吐き気がするぞ?
わたしはぴたりと立ち止まった。
「……なんか気持ち悪い……カイトさんトイレ……」
「オレはトイレじゃない」
歩みを止めないまま、カイトさんが言う。
けれどわたしは立っていられなくなって、その場にお腹を抱えてしゃがみ込んだ。
「学校の先生みたいなこと言わないでください。というか冗談とかじゃなくて……」
「オレ学校は行ったことないからなぁ……。え、本気で言ってるのか?」
わたしが隣を歩いていないことに気付いたカイトさんが慌てたように振り返る。
そしてわたしが座り込んでいるのを見ると、一瞬でこちらに駆け寄ってきた。
「おい、大丈夫か?」
「なんかお腹も痛くなってきた……」
「はあ? だから朝食はほどほどにって言っただろ」
カイトさんは呆れたように言うが、その声にはどこかこちらを心配する様子も滲んでいる。
「後悔は先に立たないんだからしょうがないじゃないですか……う、ほんと吐きそう……」
「会場まで我慢できないか?」
屈んでわたしの顔を覗き込むカイトさん。
「無理……そもそも歩けない……おぇっぷ」
「顔が白いな……。もうちょっと我慢してくれ。いまトイレまで連れてってやるから」
瞬間、ふわっと体が浮いて、視界が高くなった。
「え? うわっ」
俗にいうお姫様抱っこの体勢。
しかし、ときめいている余裕など一切なかった。
なぜなら、わたしは吐き気と腹痛に悩まされていて、なおかつ、次の瞬間遊園地の絶叫マシーンなんて目じゃなくらいの絶叫体験をすることになったからだ。
「スピード出すからしっかり捕まってろよ」
なにやら不穏な台詞を言うカイトさん。
そんな彼に抱えられたわたしに、言葉を返す隙は与えられなかった。
「は? ちょ、ま、ぎゃあああああああああああ……」
ぐん、と内臓が横方向に引っ張られるような感覚。
目まぐるしく変わる景色の中、トイレまで吐かなかったのは奇跡だと思う。





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