*1
陸上部の大会が終わった帰り道、気が付くとわたしは見知らぬ飲食店の前に立っていた。
「ここ、どこ……?」
たしかさっきまでバスに揺られていたはず。
なのに、いったいなぜわたしはこんなところに立っているのだろう。
周りを見渡しても、町並みに見覚えが無い。
もしかして、バスでうたた寝をしているうちに終点について、放り投げられでもしたのだろうか。
そんな馬鹿な。
そんなことをバス会社がしたら大問題になるだろうし、そもそも運賃も取らずに放り投げられるなんてありえない。
わたしは肩から掛けていたスポーツバッグから財布を取出し、中身を見てみたが、お金は無くなっていないようだった。
「うーん……どうしようかな」
なんだか、お腹が空いてきた。
ちょうど目の前は定食屋のようだし、腹ごしらえでもしてから店の人に道を尋ねようか。
幸い、部活の遠征の帰りだったので、お金はある。
店の中からは良い匂いが漂ってきていて、わたしはそれにつられるようにして中に入った。





*2
確かに、違和感は感じていた。
それが何なのか気付いたのは、店に入ってから。
「あ…………え。あれ?」
店に掛かっていた時計を何気なく見て、わたしは動揺を口にした。
自分が付けている腕時計の示す時間と、違う。
それが数分の誤差ならわたしとて気にすることはなかったが、何時間もの誤差があるのはさすがに異常だ。
「あの……この時計、合ってますか?」
いらっしゃい、と声を掛けてきた店員に、わたしは尋ねた。
店員は一瞬不審そうな顔をしてから、1分1秒と違わない、と答える。
(おかしい……どっかで狂ったかな)
腕時計の針はきちんと動いていて、電池が切れた様子はない。
磁派か何かに影響されたのだろうか。
(……でも、)
大会が終わって帰ってきた時間を考えれば、自分の時計は間違っていないはずだった。
しかし、この店に入る前に見た太陽の位置を考えれば、店の時計が間違っているとも思えない。
(もう……訳分かんない)
とりあえず空腹を満たしてから考えよう、と、わたしはメニューを眺めた。
大会で疲れた体には、ステーキ定食という文字がなんとも魅惑的に思える。
どうせ後から親に請求すればいいし、ここは奮発してしまおうか。
「ステーキ定食ひとつ」
わたしは、店員の様子が変わったことに気付かなかった。
いや、気付かなかった訳ではないが、たいして気にしなかった。
それを後々後悔するとも知らず。
「焼き方は?」
「んー……、弱火でじっくり」
それが自分の運命を変える合言葉だということを、このときわたしは知るよしも無かった。





*3
「110番です」
(……警察?)
番号の書かれている札を受け取って、わたしは首を傾げた。
ほんと、ここどこ?
通された部屋でステーキ定食を食べていたら、部屋が急に下降し始めて、勝手にドアが開いたと思ったらここに着いていた。
なんとなく部屋から出なきゃいけない雰囲気だったので、ステーキを無理矢理口に詰め込み(残すのはもったいなかったから)、この広い場所に足を踏み込んだはいいが、さて自分はどうしたら良いのだろう。
ぐるりと辺りを見渡せば、わたしの他にもそれなりに人がいる。
なにか催し物でもあるのだろうか。
それにしても……、
(なんだろう、この殺伐とした空気)
なんとなく、これから起こることは楽しいものではない気がする。
散々になっている人々の顔に笑顔は見られないし、複数人で行動している者がいない。
KYなどと言われないために、日々人付き合いに気を遣っているわたしにとっては、少々重たすぎる空気だった。
「んー……小説でも読んでよっと」
誰かに話し掛けることがてきるような雰囲気じゃなかったし、イベントが始まるのはもう少し先のようだった。
わたしは暇つぶし用にと持っていた小説を開き、なるべくゆっくり、時間をかけるようにしてそれを読み始めた。





*4
わたしは走っていた。
なぜだか知らないが、走っていた。
いや、走り始めた理由は、周りの皆さんがそうしていたから、っていう至極単純なものなのだけど。
(悲しき日本人の習性かな)
みんながやっているから、やる。
みんなと同じであることに安心する。
例に漏れることなく、わたしは日本人っぷりを発揮していた。
「どこに、行くのかなぁ……」
ここにいる人たちは皆、先頭にいるサトツさんという人を追い掛けているらしい(誰かが小声で会話しているのを聞いた)。
小説を読んでいて、みんなの足音が響いてくるまで周りの状況に気付かなかったわたしは、いまだに状況がよく分からないまま人々のなかに紛れ込んでいた。
(いつまで走るんだろう)
会場移動、なのだろうか。
イベントにしては、随分ハードだと考えながら、ただ走り続ける。
わたしは陸上部に所属しているため(長距離、短距離、どっちもいける)、これくらいで疲れたなどと言うつもりはないが、周りを見ればちらほらとダウン寸前の人がいる。
「なんか変なの。夢でも見てるのかな」
なぜ、こんな見知らぬ場所にいるのだろう。
なぜ、こんな見知らぬ場所を走り抜けているのだろう。
なぜ、こんな見知らぬ人々が周りにいるのだろう。
どこか現実と切り離されたような、ふわふわと浮いているような感覚を感じながら、わたしは走り続けるのだった。





*5
「騙されると死にますよ」
…………は?
サトツさんとやらの言葉に、わたしはたっぷり10秒は固まった。
え、なんか物騒な単語が聞こえてきたんですけど。
今、死ぬって言いました?
騙されると死ぬ?
なにそれ?
ちょ、何が起きてるの?
ただのイベントじゃなかったの? これ。
頭の中を疑問符ばかりが行き交う。
残りの説明なんて頭に入らなくて、ただ誰かが「騙されると分かってて騙されるはずかない」というようなことを言ったのが聞こえた。
とりあえず、サトツさんとやらにぴったりと付いていれば安全なのだろうか。
そう思って、彼に近づこうとしたそのとき、
「そいつは偽者だ!! 試験官じゃない!! オレが本当の試験官だ!!」
ええ!? 誰!?
血だらけの猿のような生き物を持ち、何かを喚く男
しかしわたしの耳に彼の言葉は入ってこない。
わたしは完全に混乱していた。
どっちが本物?
っていうか試験官って何の試験官?
ぐるぐるぐると目が回りそうだ。
ああもう、わたしはこれから何を信じて生きていけばいいの!?
なんて訳の分からない思考が頭をめぐり始めたとき、
寒気を、感じた。
ひゅっと風を切る音がしたかと思うと、次に目に映ったのは何やらトランプを指に挟んでいるサトツさん(仮)と、先程まで喚いていた男の絶命した姿(遠目で見ただけなので、本当に死んでいたかは分からないが、なんとなくそんな気がした)。
「試験官というのは審査委員会から依頼されたハンターが無償で任務につくもの あの程度の攻撃を防げないわけがないからね
.
声の方を見る。
.
ピエロがいた。
……いや、ピエロのような男が立っていた。
むしろあなたが詐欺師っぽくないですか? という心の声は口に出さず、こっそりとその容姿を観察する。
なんだか関わりたくないタイプの人間だ、というのがヒソカという男への第一印象だった。





*6
ようやく、理解した。
どうやらわたしは命を危機にさらす試験に参加しているらしい。
ハンター試験といっただろうか。
なぜ、いつ、こんなことになったのだろう。
一次試験をなんとか通過し、ぼーっとしながら森を歩いていると、何かにぶつかった。
「ふぎゃっ」
色気の欠けらもない小さな悲鳴。
自分がぶつかった物を見ると、それはこんがりと焼けた豚だった。
「は……? 落とし物?」
豚の丸焼きを落とす人間なんているのだろうか。
後で取りにくるつもりだったのかもしれないと思いつつ、しばらく待ってみるがその人が現われる様子はない。
「……。ラッキー?」
わたしは重たい豚を砂が付くのも構わず転がして、試験官の元へと運んでいった。





*7
「お寿司かぁ……」
先程川を覗き込んでみたけれど、食べられるような魚が泳いでいなかった。
そんな中で、どうやって寿司を作れというのだろう。
「んー……あ!」
握り寿司でさえあればいいのだ。
なんとかなるかもしれない。
わたしは冷蔵庫の中を覗き込んだ。





*8
わたしはのんびりと、なんたらの卵(名前忘れた)を採ろうとしている受験者たちを眺めていた。
先程の寿司の課題で、(普通の鶏の卵で作った)玉子という裏技を使い、唯一試験を切り抜けたわたし。
さすがに合格者1名はきついのではないかと、わたし以外の人間は再試験を受けていた。
それにしても、みんなお寿司って知らないんだなぁ……。





*9
そういえばわたし、なんでこんなまじめにハンター試験とやらを受けているのだろう。
ハンターが何かも知らないし、別になりたいとも思ってないというのに。
3次試験会場に着いたとき、わたしは思った。
棄権、ってどうやったらできるのかな。
そもそも、それが可能なのかも気になるけど……。
うーん、と唸りながらわたしは歩いていた。
周りでは恐ろしい感じの鳥がバサバサと飛んでいる。
怖っ……!
ここから下れとかどうするの、わたし。
先程男がひとり鳥に食べられていたようだが、どちらにしろあたしは壁伝いに下るなんて無理だ。
さて、どうしようかな。
うろうろと歩いて考えていた、そのとき、
――ガコッ
「おりょっ!? ……ってうわあ!?」
急に足元が消えたかと思うと、わたしは狭く薄暗い空間で尻餅をついていた。
「ったた……いったい何なのよ……」
難なく立ち上がれば、ざざっ、という放送音が入る。
『運も実力のうち、おめでとう』
「はい?」
聞こえてきた声に、首を傾げた。
なんのこと?
それより、早くここから脱出しなきゃいけないんだけど……。
落ちてきたのだから上を探れば出られるかもしれないと足を1歩踏み出した次の瞬間、
――ガコォッ
先程よりもいくぶんか重々しい音が足元から聞こえてきた。
そして、
「ひ……ぎぃゃぁぁあああああああ」
何故か穴が開いた足元から、わたしは螺旋状の滑り台を滑るようにして、その場所から落ちていった。
「110番三次試験通過第1号!! 所要時間19分!!」
そう告げた試験官の声は、わたしの耳に入ってこなかった。





*10
「あれっ.先客だ
「あ、どうも……」
落下のショックから立ち直り、それからだいぶ時間が経った頃、現れたのは湿原で見かけた怪しいピエロだった。
この人とふたりきりってどんな罰ゲーム?
ピエロはわたしの前まで歩いてくると、しゃがみ込んでわたしをまじまじと見つめた。
「うーん……キミみたいな子が一番乗りなんて意外だなぁ キミ、美味しくなさそうなのに.
美味しくなさそうって、ナニ?
「あー……なんかわたしよく分からないうちにここに辿りついてたんですよねー」
美味しくなさそう発言はとりあえず聞かなかったことにして、わたしはへらへらと笑みを浮かべてみせた。
目の前のピエロはどこからどうみてもアブナイ人だったけれど、6時間近くこの場所にひとりでいたわたしは不思議とこの状況に安堵を覚える。
「ふぅん? どんなコースだったの?」
「コース? いや、落とし穴に落ちたと思ったら、落ちた先が滑り台みたいになってて、気が付いたらここにいたんですけど」
「へぇ.運が良かったんだねぇ
「そうなんですかねー?」.
みんな滑り台で落ちてくるわけではないのだろうか。
首を傾げたわたしの横に、よいしょとピエロが座る。
「ま、ボクの道もそんなに難しくなかったけどね.
「どんな道だったんですか?」.
話の流れ上、わたしは深く考えずにそう尋ねた。
「昨年の試験官がいたよ.
「へぇー」.
ピエロは昨年もこの試験を受けてたのか。
この試験って年に1回なのかな?
そんなことを考えながらわたしは相槌を打つ。
「去年半殺しにしちゃってさぁ.
「えっ」.
なんか今、物騒な単語が聞こえた気がする。
突然話が不穏な気配を漂わせ始め、わたしは僅かに頬を引きつらせた。
「復讐してやるって意気込んでたみたいけど、アッサリ死んじゃった.
死んじゃったってどいうこと? まさか勝手に病気で死んだわけじゃないだろうし……。.
アハハ.と笑うピエロになんと返したら良いかわからなかったので、とりあえずわたしもアハハと乾いた笑いを返しておいた。
なにこの人超こわい。






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