想いが叶ったからといって、何が変わるわけでもない。

 しみじみとそう言い聞かせながら以前と変わらず仕事に打ち込む私は、実直な陛下付きメイド。皇帝陛下の部屋の掃除、お話相手と適度なあしらい、そして何よりも重要な陛下に仕事をさせるという任務を今日も推し進める。
 傍から見たらなんら普通と変わりないメイド。メイド以外になりようのない、ただのメイド。

 ただ一つ、そんな立場を崩すことのできる、要因がある。
 まずは陛下の幼馴染であり、友人であるということ。そして。





 最近のマルクト皇帝陛下ピオニーは、機嫌が悪かった。

 以前にも増して日に日に朽ち具合が進行しているように思える皇帝陛下の私室。ほとんど半壊しかかっていたベッドが急に一度新しいものになったこと以外は何も変わらない。今日も汚す側と掃除する側の、終わらない追いかけっこの途中だ。
 そんな部屋の中で私は、ひたすら必死に仕事をしていた。

「よーしよしよし! お前はまったくかわいいなぁ!」

 人が一生懸命部屋の掃除をしている横で能天気な声を発するのは、ベッド付近の陰でいちゃいちゃしているこの部屋の主とそのペット。
 陛下は朝散々私に絡んだ結果、仕事をしない限り相手にされないと悟ったらしい。こちらに背を向けて床に座り込み、これ見よがしにうりうりと全力でブウサギを構う彼の後ろ姿は意固地だ。最近急激に陛下が構うようになったブウサギのフガフガと餌を食む音が聞こえる。こちらにはちらりとも視線を寄越さずに、ずっとうるさいのだ。私はまず仕事をしろと言っていただけなのに。

「……陛下」
「そうそう、もっと食えよーそれでもっとむちむちのもふもふになるんだぞー俺の為にな〜」
「陛下」
「抱き心地の良い体になるんだぞ〜〜悩殺ボディに〜〜〜」

 しかし、彼の機嫌をとてつもなく損ねたのは確からしい。ピオニーの独り言は不自然に大きく、当てつけるように飛ばされる。これは拗ねている。そういえばあの日から、日に日に不満げな様子を見せていた。
 と同時に、最近自分と同じ名のブウサギが妙にぶくぶくと太り始めた理由を知って、私は気が遠くなった。言いたいことがあるなら直接言えばいいのに、なんて捻くれているんだろう。
 だから、ついやきもきした私の声に苛立ちが混じってしまったのは仕方のないことだった。

「ピオニー陛下、」
「……なんだ、さっきからうるさいぞ。俺たちのラブラブなやり取りが見えるだろう邪魔するなよ」

 しかし緩慢に振り向いたピオニーから返される言葉も、同じように棘が込められていた。
 整った容貌で剣呑に見遣られる。金の髪に褐色の肌という温かい色合いが、皮肉のように冷ややかに見えた。流すような視線が、冷たい。彼はそう滅多に怒らないから、ひやりとした怒りが見えるだけで思わず怯んでしまう。

 しかし、すぐに振り払って毅然と眉を顰める。私は間違ったことなんて一つも言っていないのだ。
 そろそろ片付け終わっていない場所が陛下の周りだけになってきたが、手を止めずに言う。

「私があなたの部屋の掃除をしているのを見て、何かやるべきことを思い出せませんか?」
「いや、まったく分からんな。この愛らしーいのことならまだしも、仕事にしか興味のなさそうなお前を見ても何のことか俺にはさーっぱりだ」
「その仕事を思い出せって言っているんですよ」

 私の言葉はまったく聞き流して「聞こえないな〜」と白々しく肩を竦めて見せられる。その上ブウサギの“”と見つめ合いながら、ふてぶてしく「なあ?」とふざけた遣り取りをしていた。
 もう、そろそろ限界だった。

「いい加減にしてくださいよ、あそこの書類の山が見え……」
「ああ、わかったぞ!」

 突然だった。あんまりに明るい調子で言われたそれに驚いて陛下を見ると、彼はにんまり笑った。

「もしかして、押し倒せってことだろう!」

 は?
 理解が及ばず唖然とするに構わず、立ち上がってしたり顔でそう言い放ったピオニーが、うんうんと一人で腕を組んで納得していた。

「俺のことが好きだってあんな啖呵切ったんだ、お前だってそりゃあ期待するよな。そーかそーか、気付かなくて悪かった。うんうん。ちょっと待てすぐに行ってやるから……」

 そんなこと私は考えてない!
 ニヤニヤと笑みを浮かべながらいそいそと動き出すピオニーを見て、カッと頭に血が上った。
 しかし部屋の掃除を進めていたせいて陛下に近付いていたことが仇となったようだ。反射的に後退るが、たった4歩の大股で腕を捕まえられる。

「ちょっと……私はそんなこと求めてません、今すぐ仕事を片付けろってことです早くしないとそこのブタ追い出しますよ!」
「可愛い可愛い俺のを閉め出して、寂しい思いをさせるって言うのか? 悪いがそんなことはさせないぞ? この悪女め」
「……っ!」

 引き寄せられ屈まれて耳元で言われたら、もう敵わない。何を言ったって敵わない。
 わざとに違いない言葉選びやからかいを含めた軽口も頭に来るし、捉えられてしまった体の自由がまったくきかなくなったことにも腹が立つ。
 結局私が優位に立てたのは、先程この男が掘り返したあの時のあの一瞬だけだったのだ。

「へ、陛下、あなたって本っ当に性格悪いですよね。知ってはいましたけど!」
「お、今の“あなた”って呼び方良いな。なんか妖艶な響きが聞こえるぞ。これからはそれで頼む、よっと」
「ひっ、し、仕事中の人を持ち上げないでください陛下話逸らすの止めてください!」
「とんだ言いがかりだな。そもそも全部が悪いんだろうが」

 文句があろうとなかろうと。じたばたしたってあっという間に持ち上げられてベッドの上。以前の半壊しかかったベッドとは違う柔らかいマットレスが、私の頭をゆっくりと受け止める。私の努力は何だったのだろうとさえ思う。
 次いで人の上に覆い被さる男はやはり自分に比べると大柄で、あの時飛び込んだ胸の大きさを改めて実感する。視界が一気に陰って、その代わりとでも言わんばかりに透き通るガラス玉のような目が、私を見通すように胡乱げに、僅かに楽しげに覗き込んだ。

「お前、自分がどれだけ酷いことしてるかわかってないだろう」
「な、何をしたっていうの……」

 ぐっと顔が近付けられる。思わず顔ごと目を逸らしたが、青色の瞳ごと視界の中についてきたのであまり状況は変わらなかった。

「自分は想いを告げて満足して? 人がその気になったってのにあっさり手のひら返して仕事しろ、だぞ? まったくお前、とんだ悪女だ」
「仕事ほっぽりだす訳にいかないでしょう! 何を言ってるの!」
「仕事が終わったってそそくさと帰ったのは誰だ? この悪女め。大体そのわざとらしすぎる口調はなんだ!」
「ここのとこ上部から呼び出されてて忙しかったんですよ……私は所詮ただのメイドなんですから。この際もう悪女でいいので人の上からどいてくださいまだ仕事終わってません私もあなたも!」
「どかないぞ。口調を直せ、そしてあの時の最高に色っぽい攻めっぷりは一体なんだったんだ? これからめくるめく薔薇色の日々が始まると思ったのに……これは詐欺だぞ!」
 言いながら、大きな掌が服の裾から入り込んできた。
「ひやっ……っ! こ、この……っそんな文句を言う前にっ、やることがあるでしょうっ! 書類溜まってますよ知ってますかあんなにあるの! そして手を抜け!」
「んなこと知るか!」
「子どもか! 大体っ、今やっているこれは元から私の仕事、だったでしょっ、駄々捏ねてないで仕事をしなさいっ私は母親か!」
「俺に母親を抱く趣味はない!」

 怒鳴り合いの攻防。台詞だけ聞けば均衡の取れているように思えるそれは、実際には圧倒的な勝敗がついていた。私は服をもうほとんどひん剥かれて半裸だ。

「いいかよく聞けよ。これは不敬罪よりもずっと重い罪だ! 俺のときめきを返せ!」

 と、ときめき……と脱力したの溜息は、目の前の男の唇に吸われて消えた。
 やっぱり敵わないのだ。私にとってはただの男でも、皇帝陛下なんてものをあっさりとやってみせるこの男の深さに、きっと私は溺れていく。






空乃さん @ ふらここ26番地 より
2014.2.14

 どうやら私は2月頃になるとピオニー陛下が恋しくなるらしい。2月に入って「陛下陛下」と騒いでいた私にまたもや空乃さんが誕生日プレゼントをくれました! 天使!
 ……非常に私好みの陛下でした。うわああニヤニヤが止まらないっ! あの後どうなったのかな〜、と思っていたまさかのふたりのその後。告白されてドキドキしてたのにその後何事もなかったかのようにされている陛下が不憫で大変萌えます。でもさすがは皇帝陛下、その状況には甘んじないんですね。服の中に手を突っ込むとか……けしからんもっとやれ!!!1! 「これは不敬罪よりもずっと重い罪だ!」っていう台詞、すごく好きです。すごく。陛下の全ての気持ちがここに凝縮されているような気がします。素敵な夢をありがとうございました!
さゆら
2014.2.23