「は相変わらずの大雑把さだな」
「大雑把だからこそどんどん仕事が進むんですよ、陛下」
陛下が何とも言えない、不快そうな顔をしたのが一瞬見えた。すぐに面白がるような、楽しそうな顔に戻ってしまったけれど。確かに。
最近のマルクト皇帝陛下、ピオニーは、機嫌がいい。それは幼馴染みの女が皇帝付きのメイドになってから、ずっとだった。
メイドへのセクハラもほどほどに、早起きで今までよりも活動時間は多いし、文句を言いながらもなんだかんだと執務をやっている。我侭もお喋りの量もいつもと変わらなかったが、何時の間にやら姿を消して惰眠を貪っていたり親友の下へと押しかけては仕事の邪魔をする、というようなことは減った。
傍目に分かるほど上機嫌ではなかったし、それはいつもの「機嫌が良い」とは違う種類の物であったけれど、確かに毎日頭を悩ませていた執政官たちはその変化を実感していたのだ。
「ほら陛下、私が書類の整理をしますから仕事をしてください」
「なあなあ、今のもうちょっと色っぽく言えないか? もう若くないのはわかってるが、なら出来るだろ? うまくやってくれたら、この仕事もやる気が出る気がするんだが」
「……陛下」
「あ、名前呼びでな! この前来てくれた若いメイドの子はな、うまくやってくれたんだぜ」
「あんまりしつこく年のことを口に出してると、そのうち私はうっかり皇帝陛下の暗殺犯になっているかもしれませんよ」
「な、そんなこと言わずに」
「はいこれ、お 願 い し ま す ね」
一度顔を近付けて凄んでから、ガサガサと目の前の男が散らかした書類を掻き集める。そうして大きな選り分け用のカゴにざくざくと躊躇なく、大雑把に書類を分けていく。少し悩んだような様子で、ピオニーがそれを見ていた。
「……何か?」
「……いや、だしなと思っただけだ」
「……?」
「今の、ジェイドの真似をしたんだろう?」
「……した覚えなんてありませんけど」
「無意識レベルか。危ないぞ、おまえら」
「……」
この仕事に転職して、一か月。初めはこんなにあっさりと、妙齢をとうに越した上にメイド業についてはド素人の譜術使いの女が、幼馴染であるとは言え初めから陛下のお付きに据えられるとは思っていなかった。
おそらく、同じく幼馴染である陰険眼鏡の手回しの力が大きかったのだろうが、それでもこれは驚くべきことだった。まるでもう一度チャンスをもらったようにさえには感じられる。
いつまでも妻を娶る様子も子を作る気配もないピオニーを危ぶんだ上層部の思惑に「もう身分などは後からいくらでも偽装できるからとにかく世継ぎを」なんてとんでもない考えがあることなんて知る由もないが、それは何か、にもピオニーにも、変化の予兆を感じさせた。
「ああっ、こら! 俺の可愛いジェイドに攻撃するなっ!」
書類の整理に没頭していると、いつの間にかやりかけのまま書類を放置して、部屋の中央に移動していたピオニーが叫んでいた。
「は? 私は何も……あーーー」
「こっちのな。あーもう、お前らは本当に仲が良いな……俺はそろそろ嫉妬してしまうぞー」
「それより仕事を……ていうか、さっき攻撃するなとか言ってませんでしたか」
陛下が腰を屈める先には、二頭のブウサギがなにやらお互いを鼻先で牽制し合っている。には、ジェイドとと呼ばれる2匹が仲が良いようにはとても見えなかった。言い得て妙である。
先ほど呼ばれた自分と同じ名前を持つブウサギは、特に毛並みが整えられている訳でもなく、他のブウサギに興味を示したりもしない、一匹狼のようなブウサギだ。ただこうやって、この男が可愛い方のジェイドと呼ぶブウサギと、しょっちゅう小競り合いをしている以外には。
そろそろ頭に叩き込まれてきたブウサギの情報を思い浮かべながら、疑問を口に出した。
「前から思ってたんですけど、どうしてそれが私なんですか」
「それとか言うな! それにお前じゃない、無愛想な方のだ」
「……同じことじゃないですか」
「まったく、はわかってないな」
半目になって睨むと、ピオニーはやれやれとわざとらしくため息を付きながら、肩を竦めて言った。
「こいつらはちゃんとな、性格とか癖とか、好き嫌いがあるんだぞ」
「……それで私は、無愛想だと」
「いや……ああもう、やっぱりその聞き方! 本当には、ジェイドに似てるよな」
「……」
その台詞の中に「ネフリーはお前と違って可愛いのに」という言葉が聞こえた気がした。
ブウサギ達の主である皇帝陛下によれば、私の名をつけられたこのブウサギは、好き嫌いは特にないがプライドの高いやつで、何にも興味を示さず一人でいるのだそうだ。けれどジェイドとだけは妙に喧嘩をする。それも、自分からふっかけることが多いらしい。
「こいつ、俺にも寄ってこないんだぜ? 触らせてもくれん……ジェイドとはじゃれる癖に」
この男はつまり、私をそのように思っているということだ。ジェイドそっくりで、何故か妙に仲良く喧嘩していて、お互い素直じゃないだけで、好きあっているのだと。自分には興味も示さない、可愛くない女だと。今まで、ずっと。そんな風に。「なあ、ひどい女だぜーおまえ〜〜」違う。「ネフリーは素直で可愛いやつだってのに……」ちがう。貴方の方が、酷い人だ。
けれど、そんな風に愚痴をこぼす男の横顔が、あんまりに寂しそうだったものだから。私は、泣きたくなった。
「……そんなこと、ずっと、思っていたんですか」
声が震える。
「んー? ……違ったか?」
私はきっと、とても傷付いた顔をしたと思う。
「……そのブウサギは、私と全然似てませんよ」
「俺の観察眼、全否定か? これでも、人の性格には鋭いって自負してるんだがなぁ」
「……ええ。全然当たってませんから」
抱き締めようした途端に手の間からすり抜けて逃げて行ったらしい“”が、私の横を抜けて部屋の隅に走り去っていく。陛下が、一瞬傷付いた顔をしたのが見えた。けれど彼はすぐにそれを消して、ふてぶてしく体を起こして振り返る。
「断言か。……なあ、いったい何がどう違うんだ?」
わざとだろうか、明るい口調で問われた質問に、それでも答える気にはなれないで視線を外して書類の整理に戻る。
“”に逃げられた直後だったからだろうか。いつもならば溜息をついて大人しく引き下がるピオニーは、それでも食い下がらなかった。無邪気にニヤニヤしながら言う。
「が、あいつよりもよっぽど他人の感情を敏感に読み取るやつだってことなら、俺は分かってるぜ?」
「……」
「あとはそーだなぁ、見た目よりずっと寂しがりなこととかな?」
何故か上機嫌な様子で近付いてきた陛下。ぐっと体を寄せ、肩に手を置いて顔を近付ける。面白そうな色を含んだ蒼色の瞳が、私の反応を見るように、真っ直ぐ覗き込んだ。
そして、唐突に思った。むしろこの男の方が、あの陰険眼鏡には似ている。時々わざとらしく人をからかう所とか、いきなりきつく人の心を裂いて本心を抉りだそうとするところだとか。……二人とも、頭が良いのだ。私は何時も敵わない。
私も目の前の男のように、言葉だけで人を裂けたらいいのに。赤目の陰険眼鏡のように、効果的に人を追い詰められたらいいのに。……人の心を、思い通りに左右させてやれたらいいのに。
半ばやけくその様な形で、しかしとても凪いだ気持ちで私はぽつぽつと口を開いた。
「私はいつも、ピオニーに、触られたいって思ってたわよ」
「…………は」
「頭の良い馬鹿は随分と、純粋で可愛らしい女の子にぞっこんだったわね」
そう言って一度キッと顔を上げる。苛立ち半分に睨み上げると、心なしか首筋に汗を流したようなピオニーが、硬直していた。
「あーー、俺、なんか気に障ること言ったか?」
肩に置かれた手を抓ろうと手を伸ばすと、それを察知したかぱっと手が離される。まだ睨み足りない視線から逃れるように、そろそろとピオニーは自分のベッドへと動いた。その背へ呼び止めるように問いかける。
「ねえ。ネフリーがあなたから身を引いたの、本当に身分を気にしてだと思う?」
「……そうだろう? っていうか、その話題は、その、頼むからやめてくれ」
「まあ、別にあなたのことが好きではなかったっていうのは勿論あるんだろうけど」
「……おい、今更そんな風に抉るのはやめろ! 俺でも傷つくんだからなっ!」
我慢できずに振り返ったピオニーが言う。そんなことは知っている。私だって、同じだけ傷付きながら口に出しているのだ。
この男は、叶わないから笑うようになった。私は笑えない。
「私があんたのこと、好きだって知ってたからよ」
敬語がとんでもないところまで飛んで行って消えてしまっていることなんて、もうどうでもいい。
この国の皇帝を、30をとうに越えた男を、幼馴染を、追い詰めるように近付いた。
「勝手に勘違いしてジェイドとセットにして、一人で勝手にネフリーに恋してるピオニーのことが、殺してやろうかと思う程憎くて好きだった」
「あんたが何時まで経ってもネフリーしか見ないから、諦めて逃げたのに、ずっとそのままだから」
「一度引っぱたいておこうと思って来たのに、……なのに」
「あんたが、楽しそうだから」
「“”が懐かなくて寂しいなんて、いう、から」
悲しいのか嬉しいのかよくわからなくて、ぼろりと涙が出た。30を過ぎた嫁ぎ遅れの女が、10年越しの初恋を告白して、泣いていた。
「触らせてくれない」と嘆いた男の首に手をまわし、顔を引き寄せる。特に抵抗もなく男はそれに従った。ただ呆気にとられて高い背を屈ませるその浅黒い肌に、口元に、唇で触れる。ぎゅっと一度目を瞑って、浮かんだ涙を雫に変えて落とすと、歪んだ視界は僅かに正常に戻った。
「好きなの」
そこには、らしくもなく目を見開いた男がいた。火がついたように、年甲斐もなく顔を赤くして、息を飲んだ男がいた。
男が、隠すように片手で額を覆う。ぼすりとベッドに腰を落とし、膝に肘を置き少し前かがみに俯く彼は、どうやら本当に驚いているらしかった。金色のつむじを、ただ眺める。
「そ、そーか……あー………」
「ずっと好きだった」
「わ、わかった、わかったからちょっと待ってくれ」
「今までずっと、すぐ傍にいたこんな良い女の存在に気付かないなんて、目が悪いにもほどがある……って、思わない?」
「あー……本当に……その、とんでもなく、俺は目が悪かったらしいな」
「私もう、二十代どころか、三十路突破よ。……信じられる?」
「……いや、信じられん。は昔から、あー、変わらないから」
「今までまったく気付きもしなかった癖に、よく言う」
「勘弁してくれ、……今は、ダメージが大きいんだ」
参った、というように両手を挙げた男。そのままピオニーはあちこちが剥けた、とてもこの国の皇帝の物とは思えない悲惨なベッドに背中から倒れ、その腕で顔を覆った。
私はこちらへ興味も示さずにベッドの傍で自分の体の毛繕いをしているネフリーの横から上がって、ベッドに倒れた体の上に跨ってやる。そろりと腕の間から私を窺った男は、しかしまるで子ども時代に戻ったかのように瞳を煌めかせていた。ばつの悪そうな顔でさえ、楽しげに。
ああ、私は。わたしは、ずっとずっとこの男の、その顔が見たくて仕方なかったのだ。
思わず緩んでしまいそうになる口元を必死に引き絞る。思いつく限りの罵詈雑言を吐きながら、私はその胸に飛び込んだ。
私のTOA最愛キャラはピオニー陛下です!(主張) 忘れもしない、昨年の2月。ツイッターで陛下陛下と騒いでいたら、誕生日にピオニー夢が届きました。なにこの素敵サプライズ……!
「好き好き好き陛下大好き」っていう気持ちをがっつり抱えて話を読みはじめたら話中の陛下に本気で心抉られました。こ、この鈍感め……! 世の鈍感系ヒロインのお相手役の男性キャラはいつもこんな気持ちを抱えているのかもしれません。そりゃ壁ドンするなり押し倒すなりしてちゅーのひとつもかましたくなるってもんですよ。このお話の夢主は見事そんな願望を叶えてくれるので大変スッキリしましたし、たじたじになった陛下が見られたのですごく美味しかったです。御馳走様です。素敵な誕生日プレゼントをありがとうございました!