もうすっかり見慣れた宮殿を歩く。
グランコクマは陽の照りが良い都だったが、冬ともなると建物の中でも上着が必要だ。譜業の空調があっても、はカーディガンを一枚手放せずにいた。ただ寒さをしのぐ為だけではなく、もしかすると、郷愁の念を捨てきれていない証拠なのかもしれない。
こげ茶色のカーディガンはによく似合っていたし、も鏡に映る"それなり"な自分に満足していた。けれどこのカーディガンがの姿に馴染むようになったのは、がこの世界に適応するのと同じように、ゆっくりと過ぎていった時間があってのことだ。初めの頃は、不格好なほどに似合っていなかった。急に冷え込んだ秋の日、慌てて駆け込んだ安い洋服店で買ったのだ。
それから数週間後に訪れた転機を乗り越え、想像もできなかった遠い世界でずっとそれを着ているうちに、こげ茶色はのものになった。
「いったい何のご用でしょうか?」
皇帝の私室に招かれた。からしてみれば想像もできない気さくさだ。もう『気さく』という言葉ではおさまらない気もして、少女から女性への過渡期にある彼女の唇は自然と不機嫌な曲線を描いた。あまりこういうふうに、部屋へ呼びつけてほしくはない。特別な関係だと思われて損をするのは、ではなく彼の方だ。
戸をたたくと、すぐに返事がある。驚くべきことに扉は内側から開かれた。皇帝が、の為に開けたのだ。
「陛下……」
「」
ピオニー・ウパラ・マルクト九世は太陽のように笑んだ。の腕を引いて部屋へ招き入れ、扉を閉めてしまう。反射的に見まわしてしまった部屋の中には二人以外の誰も人は居らず、部屋の隅でぶひぶひと家畜が鳴いているだけだった。
ただ、不自然なものが一つある。
が何かを言う前に、ピオニーはに席を勧めた。が座ることをためらっていると、ピオニーは彼女の気持ちを見透かしたように椅子を引き、腰を下ろす。
皇帝陛下より先に座ってはいけない。そんな意識が先に立って、はピオニーの好意に甘えきれない。
ピオニーはそんなを優しい眼差しで見つめると、テーブルの上から茶器をどけた。湯気の立つ紅茶が揺れるのを、他人事のように感じる。
「前に話してくれたことがあっただろう。の国での、『バレンタイン』という行事のことだ」
「ああ……はい。ありました」
「我が国にも似たような風習があるんだ。もっとも、贈るのはチョコレートではないんだが」
確かに、その行事については読んだおぼえがある。いつから始まったイベントだったかは憶えていないけれど、借りた歴史書の雑学欄にそんなようなことが書いてあった。
この世界では、好きな相手に花を贈ることがある。一輪でいいのだ。相手の色にぴったりだと思う花を選び、恋人同士は贈りあう。告白の時に差し出す青年もいる。
「だが今回は、其方のやり方に合わせてみた。これを受け取ってはもらえないか?」
先ほどからの視界の端で存在感を主張していた巨大な箱を示される。彼女は怪訝そうに眉根を寄せた。
こちらのやり方に合わせた。
その言葉の意味は『バレンタイン』の話に沿っているのだろう。マルクトのそれではなく、の世界の、チョコレートを贈る方法を選んだということだ。では、この箱に入っているものはチョコレートか。
「これが、ですか?」
ピオニーが自分にチョコレートを贈る、その行動の理由を考えるのは後にして、はますます不可解な表情を浮かべた。チョコレートにしては大きすぎる。
この国で最も貴き椅子に坐す男は、立ち上がり、箱に掛けられた紐をほどいた。ばたんばたんと箱の面が倒れ、微かな風圧に身を竦めたの目の前にこげ茶色が広がる。
ミルクがたっぷりと使われているのだろう。チョコレートの濃厚な香りがいっせいに鼻腔を突き刺し、甘い気配だけで胸がいっぱいになる。口どけの良さそうなチョコレートは陽の光につやりと輝き、ゆるい曲線やシャープな輪郭を際立たせた。
「俺の気持ちだ。丸ごと、食べてくれ」
それは、チョコレートでかたどられた等身大のピオニーだった。
の真正面に戻って来た肌色のピオニーは、と目線を合わせて彼女の手を取った。ぴくりと手をひっこめたを、真摯な声音が追いかける。
「、俺の気持ちは伝わっているか?」
は答えられなかった。
前々から、ただの『客人』に向けるには多分すぎる気配りを受けているような気はしていた。自分とは違う立場の相手に相応しくない想いを抱けるはずもなく、は自分の中で頭をもたげる疑問を押し殺して過ごして来た。
もしかすると陛下は私のことが好きなのかもしれない。
そんなことはありえないことだと思ってきたけれど、今、目の前に広がる光景は、の築き上げて来た壁を押し倒して、怒涛の勢いで心をかき乱していた。
視線が茶色いピオニーと肌色のピオニーの間を行き来して、呆気にとられていた唇が迷いに迷ったすえにひと言を紡ぐ。『好き』も『嫌い』も通り越して、強烈に焼き付いた印象を。
「あの、……重い……」
至極もっともな反応は、ピオニーの笑顔を凍り付かせるためには充分だった。
「し、質は良いんだぞ?味もグランコクマでは最高とうたわれて」
「いえ、そうじゃない……いや、重い。最高級だからこそ重いです」
「、俺を見てくれ。なぜこちらを見ない?」
「ちょっと……時間と距離が欲しいかなって……」
「距離!?」
頬をひきつらせるに取りすがるピオニー。
二人の喧騒を目耳に感じていたのは数匹のブウサギと、悠々とした笑みを浮かべ、目に見えない誰かへ手を差し伸べるような恰好をしたチョコレート色の皇帝だけだった。
かりさん @ Okuos より
2014.2.11 |
「自分の形をした実物大のチョコレート(※高級店でオーダーメイド)を夢主に送ってドン引きされるピオニー陛下の話」というリクエストで書いていただきました。
夢主の静かなるドン引きっぷりに爆笑。視界の端で存在感を〜のあたりからジワジワ来てましたが、「時間と距離」発言で腹から変な息が漏れました。なんでこんな静かなムードで笑わせられるの?
天才? 陛下の色々こじらせちゃってる感がうまく表現されていてヨかったです。あと陛下の愛が良い感じに重くて夢的にもニヨニヨできました。扉を開けた辺りからふんわり甘い!
このあと2人はどうなったんだろうと思わせる雰囲気もイイ! 季節とか要所要所で色彩とかが表現されていたのでお話が目に浮かんでくるかのようでした。肌色と茶色の陛下の対比は想像するとすごく笑える(※褒め言葉)。
素敵なバレンタイン夢をありがとうございました!