笑う帽子の誤算




 初めて彼女と言葉を交わしたその日、当時二番隊の三席であった喜助は連日の徹夜で珍しく疲労していた。
「あれ、浦原三席? お疲れ様です」
 名前を呼ばれてハッとする。どうやら少しの間意識が飛んでいたらしい。席官が執務を行う部屋の入り口で、今年の春二番隊に入ったばかりの新人が部屋を覗き込んでいた。いくら疲れていたとはいえ、声を掛けられるまで新人の気配に気付かなかったとは情けない。
「お疲れッス……確か、サンでしたよね。良かったら中へどうぞ」
 入隊前に一通り確認した新人たちの履歴書の情報を記憶から引っ張り出し、名前を呼ぶ。ついでに、部屋の入り口で所在無さげに立ったままだった彼女を部屋の中に招き入れてやった。
「はい、です。名前を覚えて頂けていて光栄です。……失礼します」
 はおそるおそるといった様子で部屋の中に立ち入ると、喜助から少し離れた位置で正座した。
「いやあ、サンは既に結構有名ッスからねぇ……席官の誰かに用でも?」
「あ、はい。四楓院隊長を探していたんですが……。……有名、ですか?」
 新人が隊長に用があるとは何事だろうとは思ったが、とりあえず先に彼女の質問に答えてやることにした。
「二番隊に可愛い子が入ってきたーって有名ッスよン」
 所属する隊を問わず、早いうちから彼女の存在は若い隊士の間では話題になっていた。
「ええと……お気遣いありがとうございます」
 否定も肯定もしない賢い返しをしては苦笑したが、彼女自身自分の魅力を知らないわけではないだろうと喜助は推測していた。隊では新人に対し日々過酷な訓練が課せられていたが、そんな最中、毎日彼女は髪型を変えてみたり、持ち物に可愛らしい小物を取り入れたりと身なりに気を使っている。到底自分の容姿を意識してないとは思えなかった。
「真央霊術院時代の成績も優秀だったそうで。入隊試験後、各隊で争奪戦だったと聞きましたよ?」
 彼女は特進クラスを上位の成績で卒業したという。特に座学と鬼道が得意で、さほど得意ではなかったらしい――とはいっても特進クラスの名には恥じないレベル――剣術や武術の成績を補っても有り余るほど優秀な成績だったそうだ。
 日々容姿に気遣いながらも訓練が疎かになったりはしないし、逆に訓練によって装いが乱れることもないようであったから、まあ確かに新人にしては優秀なのだろう。
「……恐縮です」
 は小さく頭を下げた。
 一瞬会話が途切れたところで「そういえば」と喜助は口を開く。
「夜一サンはボクもしばらく見てないッスねぇ」
「そうですか……急な用ではないのでまた今度にします。それにしても、すごい書類の量ですね……」
 どんな用事ッスか? そう聞く前に話を切り変えた彼女に、おや? と思う。なにか問われたくないことでもあるのだろうか。いくつかの憶測が浮かんだが、ひとまずは気付かなかったことにした。ここで突いて警戒されても困る。喜助は愚鈍に笑ってみせた。
「いやあ、大したものじゃないと思っているうちに溜まっちゃって溜まっちゃって」
 参っちゃいますねぇ、と頭を掻く喜助。
 は僅かに首を傾げ、一瞬なにかを考えるようにしてから口を開いた。
「何かわたしでもお手伝いできることはありますか?」
 自分の容姿の利を理解をしていないはずがない彼女の微笑み。あからさまな媚びの色はなかったが、喜助はピンときた。……なるほど、確かに頭の良い新人だ。手伝いを申し出ることで、少しでも上官の意識に留まろうという魂胆だろう。眠たい頭で喜助は考えた。新人の数は多く、秀でた能力でも無ければその他大多数に埋もれてしまう。可愛らしさで上官の気が引けるのなら、それも武器のひとつにしたいといったところか。それくらいの企みでもなければ、本日の訓練が終わり解散を許されただろう新人たちのうちのひとりである彼女が手伝いを申し出るはずがない。この時期の新人というのは慣れぬ環境に疲れ、研修という名の厳しい訓練が終わるとそそくさと家に帰っていくものだ。
 ひどく主観に偏った考察だったが、他人の脳など覗けるはずもないは突っ込みを入れなかった。
 普段の喜助なら、それでも面倒なことは御免だと、当たり障りなくその申し出を断ったはずである。だが、疲労に鈍った思考というのはやっかいで、喜助は一瞬考えてしまったのだ。彼女があまり過剰な自信を付ける前に一度誰かがその余裕を折ってやった方が良いのではないか、と。もっと正直にいうと、悔しさを滲ませた彼女の顔が見てみたかった。
 だから、"つい"、こんな言葉が口をついて出てしまったのである。
「……ええー? 手伝ってくれるンすかぁー? なんだか悪いッスねぇー!」
 やや過剰な喜助のリアクションに、は僅かに身構えた。それに気付いた喜助は内心にんまりと笑う。いい勘だ。
「なぁに、難しいことじゃないッスよ。ここに護廷十三隊に所属する隊士たちの簡単な履歴書あるんスけど、それを各隊ごとに振り分けてほしいんス」
 そう言って喜助が指し示したのは存外常識的な程度の書類の搭。ただ隊毎に振り分けるだけなら、二時間もあれば終わるだろう。……まあ、それはそれぞれの履歴書にその死神の所属隊が記載されていれば、の話ではあるが。意地の悪いことに、その履歴書には所属する隊の記載がなかった。つまり、どの死神がどの隊に属しているのか知らないと振り分けの作業を行うことができないのである。
 の位置からは書類の中身は見えないのだろう、告げられた内容に彼女がほっと肩の力を抜いたのが見てとれた。
「ボクはちょっと野暮用があるので、いったん席を外します。その間はひとりで作業を進めててください」
 ひとり立ち上がった喜助をがきょとんとした様子で見上げる。喜助は彼女ににっこりと笑いかけた。
「大丈夫、すぐに戻ってきますよン」



 喜助としては、ほんの数十分仮眠を取ったらの元に戻ってやるつもりだった。済ませなければいけない野暮用など初めから存在していない。ただ、喜助が不在にすることで質問が出来ない状況を作り、己が二番隊士として今の段階ではいかに未熟であるか認識させようと思っただけである。……まあ、現時点で隊士の所属隊が分からなかったところで大した問題ではないのだが。二番隊は隠密としての役割も担っているが、古参の隊士でも護廷十三隊に所属する隊士たちについてあまり知らない者が少なくない。
 別室に移り、座布団を二つ折りにし枕にして目を閉じる。喜助自身は気は抜いたつもりはなかったが、やはり疲労しているときの判断などあてにならない。
 次に目を開けたとき、喜助は己の失態にすぐに気が付いた。慌てて跳ね起き、部屋の外に出る。空を見上げると、仮眠を取る前と比べて陽がだいぶ傾いていた。あれから、ゆうに三・四時間は経っているだろう。仮眠どころではなく、本気で眠ってしまったようだ。到底不可能な課題と共に執務室に残してきてしまったのことを思い出して、しまった、と冷や汗をかく。こんなにも長く放置する予定ではなかった。これではただの新人いじめではないか。睡眠をとったことによって清明になった頭で考えながら、瞬歩で執務室の前まで移動する。
 せめてもの礼儀として慌てた様子は隠さず、喜助は一気に戸を開けた。
サンすみません、ちょっと用事が長引いて……って、アラ?」
 戸の向こう側には誰もいなかった。一応慌てた素振りで戻ってきてみせたというのに、なんとも拍子抜けである
「なぁーんだ、帰っちゃったんスか」
 思いの他根性がない。質問するために自分の姿を探しにくるくらいはすると思っていたのに。喜助は確かに人があまり出入りしない部屋を選んで寝ていたが、特別気配を消していたわけではない。彼女程度の能力なら、探そうと思えば喜助を探せたはずだ。寝過ごしたのは己であるくせに、なんとも自分勝手なことを喜助は考えた。
 ……まあ、でも、ある程度の時間で見切りをつけて帰宅してくれていたのならかえってよかったのかもしれない。おかげでこちらも負い目を感じずに済む。
 一瞬そう思った喜助だったが、自分の机に目を向けてふとあることに気が付いた。
「ん? 置き書き?」
 先程に仕分けを頼んだ書類の搭の上に、やや大きいサイズの付箋がぺたり。猫の顔の形をしたかわいらしい付箋だったが、そこにはその付箋に似合わない達筆な文字が並んでいた。

浦原三席
お疲れ様です。
各隊毎に束ねてあります。
死亡した隊士の分をどう扱ってよいか分からなかったので、
付箋をつけて所属していた隊に入れておきました。
確認お願い致します。


 残されていたのは簡潔な文章。その内容に促されるように搭を見ると、確かにある程度の量ずつ細長い紙で束ねられており、猫のしっぽの形を模した何枚かの付箋がぴょこんとその束からはみ出していた。それぞれ束を束ねている細長い紙には隊の数字が書かれており、喜助はぱらぱらと中身を検分してみる。
「…………」
 ざっくりと見たところ、間違いは見当たらなかった。妙な焦りを覚えて一番隊から一枚ずつ捲っていくがやはり問題は見受けられない。本当に新人の彼女がひとりで仕分けたのかと疑いたくなるほど完璧な仕事だった。



 翌朝、喜助は早い時間から二番隊が使用している部屋が立ち並ぶ廊下に立っていた。が本日朝当番だという情報を仕入れたからだ。
 情報通り、は他の新人隊士たちが出勤しだすよりもはるかに早い時間に舎に現れた。歩く先に喜助がいることに気付いた彼女は一瞬驚いたような顔をし、それから急いだ様子で駆け寄ってきた。
「おはようございます、浦原三席。昨日は声も掛けずに帰ってしまって申し訳ありませんでした」
 そう言って深々と頭を下げるに、喜助はなんとなくばつが悪くなる。
「あ……いや、ボクの方こそすぐに戻れなくて悪かったッス」
 冷静に考えてみれば、野暮用を済ませてくると言って席を外した上官を新人が探しに行く理由はなく、しかも、彼女が仕事を完璧にこなした上で帰宅していたとなれば、喜助としては文句など付けられるはずがなかった。
 むしろ、頼まれた仕事を終わらせても喜助が帰ってこなかったことによって真面目な彼女を悩ませたことを考えれば、謝罪するべき事由があるのは喜助の方である。
 だが、今更事実を告げて謝罪してもそれこそを困らせることにしかならないだろう。
 そう思った喜助は昨日の真実については黙っていることにしたのだが、それさえにとっては無用な気遣いだった。
「起こそうかとも思ったんですが、お疲れのようだったので……」
「!」
 どうやら気遣われていたのは喜助の方だったらしい。言葉を聞く限り、彼女は喜助が居た場所も、寝ていたことも知っていたようである。喜助は思わず笑った。
「っはは!」
「……浦原三席?」
 が不審そうにこちらを見る。喜助は内側から込み上げる高揚感を隠せなかった。これは面白い新人を見付けたぞ。
「いやぁ、お気遣いどうもっス。おかげでぐっすり眠れました!」
 開き直ってにっこり笑うと、も微笑む。嫌味も媚びもないその顔が作りものではないことを、喜助はようやくこのとき理解した。
 彼女への興味がむくむくと沸いてきて、喜助は口を開く。
サン、もしかして護廷の隊士全員覚えてるんスか?」
「? 二番隊ってそういう隊なんじゃないんですか?」
 きょとんと首を傾げる
「まあ全員覚えられるなら覚えておいた方が良いのは確かッスけど……」
 新人に求められるようなことではない。いったい誰がそんな情報を伝えたのだろう。昨日が夜一を探していた理由も気になるところだ。よからぬ者が関わっていなければ良いのだが……。
 さて、賢い彼女にどうやって探りをいれようか。そう考えたところで、が「あ」と声をあげる。
「すみません、今日朝当番なんです。まだ何も手を付けていないので、いったん失礼させていただいてもいいですか?」
 申し訳なさそうに眉を下げる
 そういえば、今日は彼女が朝当番だと知っていたからこそここで待ち伏せしていたんだった。
 自分の失策に気付いて舌打ちしたい気持ちになった喜助だったが、はまだ入隊したばかりである。何か企みがあるにしてもすぐに実行に移すとは考えにくいし、時間ならまたこれからいくらでもとれるだろう。ひとまず、これ以上イヤな上司にならないために、喜助は快くを放してやることにした。
「あ、ハイ。頑張って下さい」
「はい。ありがとうございます!」
 は一礼すると、やや急いだ様子でその場をあとにした。



 それからしばらくの間、喜助はのことが気になって仕方がなかった。
 を密かに観察して分かったことだが、彼女は思った以上に交友関係が広く、そして誰に対しても"適当に"に、"適度に"愛想が良かった。礼儀正しい相手を好む者には礼儀正しく接するし、気軽に話し掛けられることを好む者には気軽に話し掛ける。控えめな後輩を好む先輩には控えめに接し、媚びられることを好む先輩にはきちんと媚びてみせた。これだけを聞けば誰からも愛される者でありたいからそのように行動しているのかのように思えるが、彼女の場合、けして誰とも親しくなり過ぎることがなく、もっといえば、異性に対して色恋を匂わせることもないということが徹底されていた。見た目が良く基本的に物腰も柔らかい彼女に言い寄る男の影が無いというのはもはや奇跡のレベルである。彼女自身がよほど意識して相手の気持ちをコントロールしなければ成しえないことだ。
 ……彼女の本質はいったいどこにあるのだろう?
 相手によって関わり方を変えられるあたり理性がかなり強く、他人の心の機微に敏感であるというのは理解できるが、それだけに一向に彼女自身が見えてこない。いったい彼女は何を考え、何を望みながらこのような人付き合いをしているのか。
「夜一サン……ボク、最近気になる新人がいるんス……」
 の観察を始めてから数日。喜助は隣に座っている友人にため息交じりに相談した。
「ほう?」
 二番隊の隊長である四楓院夜一が、興味深そうに喜助を見遣る。友人のこのような憂いを帯びている姿は初めて見た。
なんスけど、」
 だが、喜助がその名前を口にした瞬間、夜一はぴしゃりと跳ね除けた。
「ダメじゃ!」
「はい?」
 喜助は思わず夜一の方を向く。
 夜一は鋭い眼光でこちらを睨み付けていた。
「あやつはダメじゃ。おぬしにはやらんぞ。……のやつめ、気を抜きおって」
「や、べつにそういう意味で言ったんじゃないんスけど」
 は喜助の興味を引く存在ではある。しかしそれが恋愛感情かと問われれば、喜助は否と答えるだろう。
「……本当にか?」
「ホントっス! ……というか夜一サン、サンと親しいんスか?」
 疑い深い声色で訪ねてくる夜一に、喜助もまた疑問を投げかける。彼女の口ぶりからすると、どうやらは夜一とも交友関係があるようだ。
「なんじゃ、全部調べた上であえて儂にの名を言ってきたのではなかったのか?」
「どういう意味っスか?」
 意外そうに言う夜一に、喜助は質問を重ねる。
 夜一は露骨に嫌な顔をして、それからしぶしぶといった様子で口を開いた。
「おぬしがその気になって調べればすぐ分かると思うから教えるが……は儂のイトコじゃ」
「イトコぉ!? は!? そんな話聞いたことないっスよ!?」
 思わず身を乗り出した喜助に、夜一が仰け反る。
「あー……まあ。この話はあまり公にはなっていないからのう」
「公になってない? そういえば""は貴族じゃないっスよね」
 従姉妹というくらいだから普通に考えれば四楓院の分家の娘であろうが、尸魂界にという貴族の家系は存在しない。
の母親は元々四楓院の姫でのう。儂の父の妹……まあ、血筋としては儂の叔母に当たるわけだが……元々四楓院にしてはあまり力がなく、そんなさなか庶民と駆け落ち同然で結婚したもんじゃから四楓院家ではいなかった扱いになってるんじゃ」
「はー……なるほどー……」
 喜助は元の位置に座り直した。それであの日は新人なのにも関わらず気軽に夜一を探していたわけか。これで疑問が一つ晴れた。彼女がよからぬ者と関わっている可能性が一気に減って、喜助は知らずのうちに安堵する。
「もしかして護廷の隊士の情報を彼女に仕込んだのも夜一サンですか?」
「うむ。おぬしのような意地悪な上司に理不尽な仕事を言いつけられても対処できるようにの。入隊前に必要なことはみっちり仕込んだぞ!」
「おおっと」
 もしかしてと思って尋ねれば肯定の返事。しかも例の話は夜一に伝わっているらしい。
「まああやつはそれが新人の域を超えているとは知らなかったみたいじゃがな」
「ははは」
「笑い事じゃないわ! まったく!」
 話から察するに、は愚痴を夜一に零したわけではなく、おそらく日々の出来事の報告として夜一にその話をしたのだろう。この件については喜助は苦笑いをするしかなかった。
「それにしても夜一サン水臭いじゃないっスかぁ。あんな優秀なイトコがいるならもっと早く教えてくださいよぉ!」
は儂の可愛い可愛い妹分なんじゃ。おぬしになんぞ紹介するか!」
「随分溺愛してるんスねぇ……」
 憤慨したように言う夜一を、喜助は揶揄するように笑む。夜一は一度喜助をじろりと睨むと、大きなため息をついた。
「……が死神になったのはの、儂のためなんじゃ」
「夜一サンのため?」
 若手の死神の中では強さの頂上にいるような夜一。そんな彼女のために死神になったとはいったいどういうことだろう。
「そもそもの母親は四楓院から除籍されとるからのう。本当ならあやつと儂も一生関わらない可能性が高かったんじゃ。……それが、が生まれた後、祖父が一度だけ気まぐれで孫の顔を見せに来いとと母親を屋敷に呼んだことがあってな。それまで儂もも同性の友人などおらんかったからすぐに意気投合したんじゃが……そのとき、祖父がに言ったんじゃ。夜一と友になりたいと思うなら真央霊術院の特進科に入って死神になることを約束しろ、とな。は是と答えた。がだいぶ大きくなってのことじゃったから、今思えば、初めから四楓院の血を引くの能力を見ておくつもりで呼んだんじゃろうなぁ……その日は色々あってが鬼道が得意なことが分かっての。のやつ、二百年前の時点で既に縛道の三十九番を詠唱棄却で使えたんじゃ。……間違いなく、四楓院の血じゃった」
「…………」
の家は貴族ではないが、金は莫大にある大商家じゃ。本来なら死神にならずとも一生姫のような暮らしができるはずだったんじゃが、あやつはそれでも儂と友になりたいと言ってれてのう。いやぁ、儂はそれが嬉しくて嬉しくて。同世代は皆儂に遠慮があったゆえ、当時気軽に付き合えたのは白哉坊くらいだったからの」
 喜助よりもずっと前から付き合いのある、身分を気にしない友人。ただひとりの女友達。夜一にとってが特別な存在であるのは明白だった。
「いいか、ここまでへの思い入れを語ってやったんじゃ。あやつには手を出すなよ。絶対に手を出すなよ!」
 キリリとした真面目な顔で夜一は喜助に念を押す。しかし、夜一の思い入れを聞いたからこそ、喜助はへの興味をよりいっそう高めずにはいられなかった。
「それってフ」
「フリじゃないから手を出すんじゃないぞ! ……はの、儂より強くて頭がよくて顔がよくて優くて金持ってる男にじゃないと嫁にやらんと決めておる」
「それってサン結婚できないやつじゃないっスか……」
 喜助の方が夜一に対して呆れた顔を作るという珍しい光景。だが、夜一がそれを気にした様子は無かった。なりふり構っていられないらしい。
「うるさい。とにかくおぬしみたいなヤツにはやらん! ……ん? 待て、今おぬしさりげなくのこと下の名前で呼びおったな?」
「いいじゃないっスかぁ、名前くらい」
「いいわけあるか! よいか、あやつにちょっかいをかけるでないぞ! これは隊長命令じゃからな!」
 怒鳴るように言いつける夜一。しかし、夜一の私情が大いに絡んだ隊長命令など喜助が聞くはずもなく、その後、喜助が何度もを食事に誘う場面が目撃されるようになるのだが、それはまた別の話である。




2016.5.21